出来事と法則、フローとストックの関係

 レヴィ=ストロースは著作”野生の思想”の中で神話や儀式をはじめとする野生の思考と自然法則に基づく科学的思考の両者を比較して以下のようにまとめる。

野生の思考で取り扱いうる特性は、もちろん科学者の研究対象とする特性と同じではない。自然界は、この二つの見方によって、一方で最高度に具体的、他方で最高度に抽象的という両極端からのアプローチをもつのである。言いかえれば、感覚的特性の角度と形式的特性の角度である。しかしながらこの二つの道は、少なくとも理論的には、そしてパースペクティブに突然の変動が起こらなければ、当然合流して一つになるべきものであった。~
二つの道がどちらも、時間及び空間の中において相互に無関係に、まったく別々であるがどちらも正方向の、二つの知を作り出したことである。一方は感覚性の理論を基礎とし、農業、牧畜、製陶、織布、食物の保存と調理法などの文明の諸技術を今もわれわれの基本的欲求に与えている知であり、新石器時代を開花期とする。そして他方は、一挙に知解性の面に位置して現代科学の淵源となった知である。 

p.325 レヴィ=ストロース野生の思考

人の思考には

法則から出来事を生みだす方向<>出来事から法則を生みだす方向

二つの方向性があり、それは

統合から離散へ至る方向<>離散から統合へ至る方向

とも言い換えることができる。統合の方向のみでは硬化し動かなくなり、離散の方向のみでは発散しなくなってしまう、両方向が一つに合流し刺激し合うことが暗に示唆されているように思える。

自然現象は在る法則に基づいて発生するが、そこから生まれる出来事はそれぞれに異なる。

例えば台風の発生はある法則に基づいて行われるが、そこから生まれる被害の在り方はそれぞれの台風によって異なるように一つの法則から多様な出来事を生みだしている。

一つの法則から一つの出来事のみを生みだすのが機械であるとしたら、

自然はある普遍的な存在でありながら、同時に単一的な存在の集合でもある

お祭りは様々な神事を執り行うことで、ある神話の体系/価値の体系/記憶の体系を形作り 社会に一つの軸を作りだす。その軸が拠り所となり、一つの共通言語・会話が生まれる。

これはカフェのコーヒーがおいしい といった出来事が一つの法則となり、共通の会話となる場合との間で規模の差異はあっても方向性の差異はない。ひとつの統合へ至る方向を指し示している。

大地 が、場 が、言葉 が、活動 が 「持続」する とは この法則出来事の二つの力によって呼吸するように維持されると言えるのではないだろうか。

法則から出来事が生まれず、新たな出来事によって、新たな法則へと改編することもあるだろう

法則から新たに生まれた出来事を統べる法則へと強化されず、別の法則に出来事が置き換わることもあるだろう。

その点から考えると

市場原理・市場法則 を 第一原理・第一法則として 出来事をそこへまとめあげることが全てだと考える習慣が現在人にはあまりにもなじみ深く成り過ぎてしまったように思える。市場を創る観点から考えるとその流動性を最大へするために、法則のもと公平性と透明性を保ち、価格の信頼性を構築し、流動に対しての障害を最小限にする。

市場が発達する前の古い時代へ遡るほど、ストックの重要性は増し、その蔵は各地域で財のシンボルとなり、民の命を繋ぐそのストックのシンボルは信仰の対象にもなった。

歴史の中でストックよりもフローへ経済的価値が大きく移行している。フローを阻害するブレーキとなる障害物/境界は消去されていく。全ては一つの価値基準/法則によって計られ、交換され、運ばれていく。そして現代の経済活動はフローそのものの中から経済的利益を生み出す術を創り出している。

戦時・戦後の情報科学の発展や物理学の経済学や社会学をはじめとした分野への応用によって、フローへの価値編重はより積極的に評価される状況が生み出されている。

ダイナミクスを解くことが様々な活動を行う上で重要なキー となっているのだ。

現在の市場経済を支えるフローは産業革命後の輸送能力やシステムに、そして電気・情報技術・コンピュータの計算能力・伝達能力に負う部分が大きい。それだけの速度が成立する環境においてこそ、市場原理の均質性・平等性は価値を持つ。

しかし物流の速度は限度がある時代、消費地のものが存在することを保証する手段として保存によって時間を超えることを選択した。

保存には自然の力が持ち入られた。太陽で、風で、宇宙への放射によって、

米はハサ掛けされることで、太陽によって十分に水分を蒸発させてから仕舞われることで、長期間の保存の中で腐食してしまうことを防いだ。果物は冬の乾燥した風にさらすことで、凝縮され、遅い輸送時間へも耐えられるように工夫された。

速度を遅らせることでフローを成立させていたということである。物流の速度が遅いことが別の価値を生んでいた。ストックもまたフローの一つのかたちだといえる。

出来事と法則の二つの方向性は、現代においては

A.人類を主体とした価値 (貨幣、環境、地球 俗にグローバルと呼ばれるもの)

B.古の物語に基づいた枠組や宗教

A.離散した個人/専門家の集まり

B.統合された集団/国家 地域

A.食べる人

B.仕事をする人

と表せることができるだろうか。グローバルな価値観によって分解された「世界」を、どうやってもう一度物語として紡んで行くのか。グローバルな物語は何故、実行性に乏しいのか?グローバルな法則が強い実行性を示すのに対して.....

物語は個人を拘束する ある世界観に ある価値観に

物語は ある価値観-質を 個人に指し示す。

法則は ある量を推し量る術を与えてくれる 

法則が指し示す時間 と 物語が指し示す時間

機械論が すべてを表現しきれるのか?

物語を紡ぐ仕事 とは なにか?

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