フェルナン・ブローデルの名著。現代社会の基盤をなしている資本主義、世界史のなかでこの言葉がどのように育ち、歩み、成長していったのか?日常の構造、交換のはたらき、世界時間という独特な言い回しの3部構成で、まとめられた長編大作。翻訳版では3部構成のそれぞれが前半後半で分けられている。
日常の構造Ⅰ
本書は日常の構造の前半。
交換のはたらき、が経済文明、資本主義の成長の記録であるとすると、世界時間は、世界の相互作用の拡大、共鳴の記録であり、日常の構造は、その資本主義の外側に広がる またそれを支える・支えられる、もう一つの世界=物質文明の記録である。
変化が乏しくゆっくりと歩む物質文明の記録
失業とは市場外の活動のことを指していた
英語のun-employed(失業)という言葉が、19世紀初頭のアメリカでは、お金が支払われることのない活動をさしていた。市場外の生産活動(家事育児なども含まれる)に携わっているときや余暇を楽しんでいるような場合、人々はそれを「非雇用の状態」unemployed と呼んだようである。
日常の構造とは、すべてが市場経済の外側にある活動ではないが、この果てしなく広がる経済活動がどのように変化してきたのか?もしくは変化してこなかったのか?を示す。現代の経済学で外部性として定義される領域もここに含まれるだろうか。
大企業の大量生産を安定させるために、生産量の変動領域を小中企業が担うことで、全体の生産システムを成立させているらしい。このような二層構造もまた、資本主義の世界と物質文明の世界という二層構造の一つの表現となるのかもしれない。
ゆっくりと長い時間をかけて変化していく物質文明
人口や感染症、飢饉のはなしからはじまり、小麦、米などの農業のはなし、住まいや衣服のはなしと、扱う内容が具体的で幅広くて、長い時間を持続して流れるさまざまな事象の大河を実感する。この独特な雰囲気は読んでみないとわからない。
生活にまつわることが、いかに変化に乏しく、いかに長い時間をかけて少しずつ、その変化の準備を貯えてきたのか?を実感させられる。
そして、その地域の気候・地形とその食糧体系、そしてその住まいに至るまで、その生活の基盤が生み出す文明の違いが、異なる習慣を生み、その習慣が互いの境界を生み出し、その配置関係が互いの相互作用のあり方を規定していく。
経済活動が単純な合理的な判断にのみ従うのでなく、文化的な側面、そしてそこから生まれる心理的側面に大きな影響を受けるということを考慮に入れるとき、この各地域で日常をくりかえし、くりかえす構造がどのような意味を持つか?
特に、持続可能性・サスティナビリティが問われる現代においては、避けては通れないものだと感じる。なぜなら、この外部性/市場経済外の日常のなかにこそ、これまで疎かにしてきたけれども、欠くことのできないピースがあるのだから。
本書の後半に流行のはなしが入り込むのは、15-18世紀という時代が伝統と流行という異なる二つの方向性が明確に意識されてきはじめたことを強く感じさせる。(荘子のハネツルベのはなしを読むとずっと昔からこういうことは意識されていたのだろうが)
文化の均質性を生み出すものとは?
鍬に頼る文化の帯の均質性という指摘は、factfullnessのあきらかにした地域性よりも経済性のレベルから見た際に生活環境の均質性が見えてくるという指摘の母胎となっているのではないか?と感じる。そしてこの鍬に頼る文化の帯の均質性がどこから来ているのか?は一つの重要なテーマではないかと思う。
建築をやる人間としては、暖炉のある地域(ヨーロッパ・シベリア・中国北方) と 暖炉のない地域 (その他の暖房を太陽に頼る地域)の違いは、自然環境に対しての態度の違いとして、なにか大きな影響を与えているように思える。
13世紀に人口減少の時代があったことは、原因も違うので直接的には参考にはならないだろうが、現代社会を考える上で、人が減るとはどういうことか?考えるのに、一つの参考事例となるように思えた。
通時的で共時的 ことばと事物の複合体
通時的 共時的 という言葉は 個人的にはレヴィストロースを意識させられる。神話の世界と科学の世界が伝統の世界と進歩・流行の世界が併存する世界史。それは現代も同じだ。
そしてこの物質文明が織りなす通時的であり、共時的である世界は単なる《事物》によって構成されるのではなく、《事物とことば》の領域 であるとされる。「ことば」「言語」というものに対して大きな期待を寄せている。
村上光彦氏の訳者あとがきでの
「、文字使用の段階に達した文化に《文明》という呼称を与え、文字使用を習得していない文明を《文化》という呼んでいるのです。文字を書くことが文明すなわち《第二次の成功》の指標だというわけです。」
という指摘は、この物質文明と呼ばれる領域が社会的で、かたちを変えていく、柔らかい存在であることを感じさせる。そして私たちが言葉を通して、事物をみなみなで織り上げて、日常をつくっていっていることを、社会では事物は言葉であり、言葉は事物であることを、意識させられる。
具体的な数値や事例が そうした通底音を、鮮やかに彩る。
世界時間Ⅱ
独占・競争・自給の三つの階層がつくる幾筋もの流れ
第三部:世界時間の二冊目。ヨーロッパの世界=経済を見てきた一冊目から変わって、アメリカ、アフリカ、ロシア、トルコ、極東(インド)と、ヨーロッパ以外の世界=経済を見てゆき、最後に産業革命の時代を確認していく。
ヨーロッパの発展を支えたアメリカ
ヨーロッパの縁辺として扱われたアメリカ大陸。ヨーロッパの近代性の大きな一助となる。スコットランドやアイルランドからの囚人、イギリス各地の植民地の流刑囚などの白人奴隷やインディオたちからはじまり、黒人奴隷とともに、古代、中世、ルネサンス、宗教改革などが混ざりあいながら、砂糖と資本主義と奴隷制度が肩を並べて行進する。
三角貿易を支えたアフリカ、搾取されたアフリカ
アフリカはヨーロッパの帝国主義とイスラム圏の帝国主義の両方から搾取された。その影響が生み出した構造は単純な一方的な搾取だけではなく、アフリカ人自身による奴隷貿易への協力、時には自分自身の両親や子ども、兄弟姉妹を奴隷として売ることもあった。
それは現代においても影響を受け続けている。同時に見なくてはならないのは、それだけの大規模な交易を可能とする商品の輸送システムがアフリカに備わっていたということである。
大きな村だったロシア
シベリアのやわらかい金と称された毛皮によって財をなし、その影響によって産業化は停滞し、都市機能は発達せずに長い間留まり、ロシアとは膨大な村だ、と言われた。
産業化/鉱山開発の足取りは18世紀初頭にアメリカの毛皮産業が競争相手として登場した後からであった。そしてその鉱山のかたちは自国の囚人をはじめとした強制労働者たちの力によって為された。
古くからの商業圏域トルコ
イスラム世界の経済帝国の中心として、黒海と紅海そして砂漠の隊商たちに支えられたトルコは、その古くからの商人集団によって自分たちの商業圏域をヨーロッパから守り続けてきていた。逆にその古い商業慣習の優秀さゆえに、ヨーロッパで発達した商業技術(信用貸しなど)は発達が遅れた。
恵まれた自然環境とその自然がもたらした交易によって古くから貨幣経済が根づき(今日においてもなお貴金属の消費地として君臨し続ける)、
世界の職人だったインド
全世界からの需要に、何百万という職人が古き良き手仕事による日々の生産に追われていた状態から、アメリカ大陸の銀によって扉を開かれ19世紀には産業化されたイギリスとの競争によって非産業化され、原料供給者の地位に引き戻されたインド
産業化の時代-経済成長を可能にするもの と 経済成長の仕方
産業革命を最初に経験したイギリスを含め、15世紀から18世紀の長い近代化/産業化の過程は働く者(人力)を犠牲にして生産性を高める国民所得の時代であり、積み上がっては崩れ、繰り返される運動によって様々なバリエーションの構造/資本主義を生み出した。
イギリス以前の国々の産業化を阻んだのが農業であれば、イギリスの産業化を助けたのも農業であった。国内、国外含めた高い農業生産性が増加する貧しい国民/労働者を基盤から支えた。
その爆発した人口増加がもともと少なかった森林を木炭消費で食い潰して、より安価な石炭の時代の到来をもたらした。世界の職人だったインドの木綿から世界の工場として国際競争に勝ち、産業化の時代がはっきりと幕を上げる。
1750年に今日の先進諸国のGNPの合計はその他の国々の合計の1/4程度だった。それが産業革命後の貧富の差が広がり、1880年から1900年頃に追い越し、1976年にはおよそ3倍となっている。
「経済成長を可能にするもの」は国家や社会や文化といった様々な要因のあいだの構造的関係にもとづいて緩やかに獲得されるものであるのに対して、「経済成長が実際に生ずる仕方」は短期的な状況(経済以外の要因も含め)に左右される。
バリエーション・世界に多様性を生み出すものとは?
どちらも経済成長には重要なものであり、この長い書物でも繰り返し現れるように、長期と短期が重なりあい、均衡のとれた成長と不均衡な成長の両方が現れる。そしてそれが様々なバリエーションを生み出す要因ともなっている。
15-18世紀の歴史を読む意義は、このバリエーションがどのように生まれ、今日にどのように影響を及ぼしているのか?を知ることではないかと思う。成長は全ての領域・空間で同時に起こらず、偏在しており、成長の速度・方向性の違いが世界=経済の構造を新たな方向へと導いていく。
「独占的資本主義(独占価格/大企業)」と「競争的資本主義(競争価格/中小企業)」と「非市場経済の領域(無償の労働/家事・自然環境)」というおおまかな区分だけでも、古いものと新しいものが混在して、相互に働きあって、経済も、社会も、国家も、文化も動いていることがわかる。
家事の領域で、子どもが生まれなければ、資本主義へは労働者は供給されない、逆に両方の資本主義から様々なサービスが供給されることで現代社会の出産と人口(低い出生率と低い児童死亡率)は維持されている。
この古いものと新しいものが混在した世界の、各ポイントで、その相異なる要素を滑らかに噛み合わせるための努力をする必要があるのだと本書を読んで感じる。
関連資料
結ばれた点と点の時間が同期し、活動が共鳴し生まれる文化と技術の複合体
地域を超えて共有された活動の時間、世界時間のイメージはこのようなものだと思われる。
しかしこの世界時間は例えば一つの国のなかでもチーズのように無数の穴や濃淡があって、共有されているエリアと共有されていないエリアが生じているような斑なものであり、結びつき共有されているのは基本的に各時代、各地域の上部構造/先進地域の部分である。
それが国や地域を超えて結びつくとその差はより激しくなる。
そのような異なる次元もまた階層化されて、互いに結びつきあい共存し、作用し合っていたことは第二部で見てきたところであり、むしろ上部構造を創出したのはこの下部構造からの押し上げであったというのがブローデルの見方だと思われる。
そして遠距離交易が盛んになるにつれて、この諸地域の上に国民というレイヤーが後に上から被さっていくことを国民市場のところで見ていくことになる。
第三部の世界時間は、そのような世界時間が共有される経済圏である世界=経済とともに、その特徴を確かめていき、第二章からはヴェネツィア、アンヴェルス、ジェノバ、アムステルダム、ロンドンと各時代の世界=経済がどのように発達してきたか?どのような特徴をもっていたのかを巡っていく。
それは「農業経済から脱出した自由で軽々しい都市国家」と「国家形成のために厖大な作業を抱えて農業経済から脱出できず閉鎖的で重々しい領域国家」という異なる国・地域像の比較(例えばイギリスに対してのフランス)という背景を持ちながら進められる。
そして空間の制圧。街道や航路、そして鉄道が通り、隊商宿やオアシス、寄港地が生まれ、広い面のなかに点と線が引かれていく。
結ばれた点と点のあいだの電位差によって経済の流れが動き出し、構造に持続性が与えられていく、金や力が蓄積されていく。そして点と線を流れる経済の流れの摩擦がさまざまな技術によって一つずつ取り除かれていき、構造が強化されていく。
ルネサンスのヴェネチア から 大航海時代のアムステルダムまで
ヴェネツィアからアムステルダムまでの発展は<南>の商業の発展とともにあり、かつ、十字軍・レヴァント貿易とヴェネツィア、ポルトガルの航路開発・ドイツ フッガー家/ヨーロッパの銅とアンヴェルス、スペイン/アメリカ大陸の銀とジェノバといった各時代の政治力や資源産出地との関係にもとづく遠方貿易の商業活動が軸に進められる。
アムステルダムはこれまでの都市国家から近代国家・国民経済の時代の境界に位置し、信用、商品を生産する工業の重要性が増していく。
それがもたらす人工的な環境は、干拓された土地・多くの外国人出身者(1/3とも言われる)とオランダがもつそもそもの自然特性だったのかもしれない。
工業の重要性が増すほど分業は促進され、オランダ内の都市間の役割分担が進む。通商を重要視するアムステルダムは商品を保管する倉庫が重要な位置を占めた。
そしてその流通を滞らせないための信用貸しによる決済がより発達した。そしてヴェネツィアがフィレンツェやイスラムなどの他人の技術を束ねて発展を遂げたように、アムステルダムもまたスペインやポルトガルなどの他人が開拓したアジア貿易を強奪していくことで発展していった。
この時代の東南アジアの香辛料は東西貿易の(特にインドへの)重要な鍵であった。しかしこの強硬姿勢はオランダ/アムステルダムのアメリカ大陸での失敗へとつながっていった。
国民経済の登場とロンドン
そしてロンドンとともに、アムステルダムが準備した経済技術<人工的な富>を駆使した本格的な近代経済が幕開けしていく。国民経済の登場は、それまでの広範囲に広がり閉鎖的で重々しかった辺境部や領域国家が都市に開かれ、より緊密に連動していく過程を描く。
文化と技術の違いについて
経済の本ではなく、歴史の本であるがゆえに、経済活動がそのまわりの様々な社会生活に支えられていることを第一部から注意深く描きだしている。特に国民経済の形成の過程は、先行した政治・文化の領域の存在の重要性を指摘している。消費とは文化的な行為であることを改めて感じる。
また文化が持っている、経済、政治、社会にはない特徴として、その持続性を挙げる点も面白い。流行のような移ろいやすいものもあるが(それに敏感に反応する経済は当然移ろいやすい)、風習や慣習などはやすやすとは変化していかないということである。
文化とは、精神でもあるし、ことばのあらゆる意味での生活様式でもあり、文学・芸術・イデオロギー・自覚の持ちようなどでもある。文化は、物質的・精神的な無数の財貨でできている。[…]技術はおそらく文明の身体にすぎず、その魂ではない。
p.73-77
こうした考え方は現代の文化心理学の考え方とも通じるところがあり興味深い。
風習や慣習の主体がいなくなり、辺境で文化が失われていっている現代社会とは何なのか?改めて考えてみたいと感じた。
世界時間Ⅱ
独占・競争・自給の三つの階層がつくる幾筋もの流れ
第三部:世界時間の二冊目。ヨーロッパの世界=経済を見てきた一冊目から変わって、アメリカ、アフリカ、ロシア、トルコ、極東(インド)と、ヨーロッパ以外の世界=経済を見てゆき、最後に産業革命の時代を確認していく。
ヨーロッパの発展を支えたアメリカ
ヨーロッパの縁辺として扱われたアメリカ大陸。ヨーロッパの近代性の大きな一助となる。スコットランドやアイルランドからの囚人、イギリス各地の植民地の流刑囚などの白人奴隷やインディオたちからはじまり、黒人奴隷とともに、古代、中世、ルネサンス、宗教改革などが混ざりあいながら、砂糖と資本主義と奴隷制度が肩を並べて行進する。
三角貿易を支えたアフリカ、搾取されたアフリカ
アフリカはヨーロッパの帝国主義とイスラム圏の帝国主義の両方から搾取された。その影響が生み出した構造は単純な一方的な搾取だけではなく、アフリカ人自身による奴隷貿易への協力、時には自分自身の両親や子ども、兄弟姉妹を奴隷として売ることもあった。
それは現代においても影響を受け続けている。同時に見なくてはならないのは、それだけの大規模な交易を可能とする商品の輸送システムがアフリカに備わっていたということである。
大きな村だったロシア
シベリアのやわらかい金と称された毛皮によって財をなし、その影響によって産業化は停滞し、都市機能は発達せずに長い間留まり、ロシアとは膨大な村だ、と言われた。
産業化/鉱山開発の足取りは18世紀初頭にアメリカの毛皮産業が競争相手として登場した後からであった。そしてその鉱山のかたちは自国の囚人をはじめとした強制労働者たちの力によって為された。
古くからの商業圏域トルコ
イスラム世界の経済帝国の中心として、黒海と紅海そして砂漠の隊商たちに支えられたトルコは、その古くからの商人集団によって自分たちの商業圏域をヨーロッパから守り続けてきていた。逆にその古い商業慣習の優秀さゆえに、ヨーロッパで発達した商業技術(信用貸しなど)は発達が遅れた。
恵まれた自然環境とその自然がもたらした交易によって古くから貨幣経済が根づき(今日においてもなお貴金属の消費地として君臨し続ける)、
世界の職人だったインド
全世界からの需要に、何百万という職人が古き良き手仕事による日々の生産に追われていた状態から、アメリカ大陸の銀によって扉を開かれ19世紀には産業化されたイギリスとの競争によって非産業化され、原料供給者の地位に引き戻されたインド
産業化の時代-経済成長を可能にするもの と 経済成長の仕方
産業革命を最初に経験したイギリスを含め、15世紀から18世紀の長い近代化/産業化の過程は働く者(人力)を犠牲にして生産性を高める国民所得の時代であり、積み上がっては崩れ、繰り返される運動によって様々なバリエーションの構造/資本主義を生み出した。
イギリス以前の国々の産業化を阻んだのが農業であれば、イギリスの産業化を助けたのも農業であった。国内、国外含めた高い農業生産性が増加する貧しい国民/労働者を基盤から支えた。
その爆発した人口増加がもともと少なかった森林を木炭消費で食い潰して、より安価な石炭の時代の到来をもたらした。世界の職人だったインドの木綿から世界の工場として国際競争に勝ち、産業化の時代がはっきりと幕を上げる。
1750年に今日の先進諸国のGNPの合計はその他の国々の合計の1/4程度だった。それが産業革命後の貧富の差が広がり、1880年から1900年頃に追い越し、1976年にはおよそ3倍となっている。
「経済成長を可能にするもの」は国家や社会や文化といった様々な要因のあいだの構造的関係にもとづいて緩やかに獲得されるものであるのに対して、「経済成長が実際に生ずる仕方」は短期的な状況(経済以外の要因も含め)に左右される。
バリエーション・世界に多様性を生み出すものとは?
どちらも経済成長には重要なものであり、この長い書物でも繰り返し現れるように、長期と短期が重なりあい、均衡のとれた成長と不均衡な成長の両方が現れる。そしてそれが様々なバリエーションを生み出す要因ともなっている。
15-18世紀の歴史を読む意義は、このバリエーションがどのように生まれ、今日にどのように影響を及ぼしているのか?を知ることではないかと思う。成長は全ての領域・空間で同時に起こらず、偏在しており、成長の速度・方向性の違いが世界=経済の構造を新たな方向へと導いていく。
「独占的資本主義(独占価格/大企業)」と「競争的資本主義(競争価格/中小企業)」と「非市場経済の領域(無償の労働/家事・自然環境)」というおおまかな区分だけでも、古いものと新しいものが混在して、相互に働きあって、経済も、社会も、国家も、文化も動いていることがわかる。
家事の領域で、子どもが生まれなければ、資本主義へは労働者は供給されない、逆に両方の資本主義から様々なサービスが供給されることで現代社会の出産と人口(低い出生率と低い児童死亡率)は維持されている。
この古いものと新しいものが混在した世界の、各ポイントで、その相異なる要素を滑らかに噛み合わせるための努力をする必要があるのだと本書を読んで感じる。
関連資料
交換のはたらきⅡ
国家・文化・社会が交換の活動の骨格を与える
第二部「交換のはたらき」の二冊目である本書は、前書で展開された生産と資本主義の関係の続きからはじまり、資本主義の中心的領域である商取引、国家を含めた社会構造、と資本主義の関係を見ていく。
季節のリズム(農村)に囚われていたマニュファクチャー
農家の休耕期と結びついた家内工場からマニュファクチャーの時代までは、ファクトリー(工場)の機械ではなく、人の生産力が重要な要素となり、季節のリズムに縛られていた。
これは一冊目で農家の自給自足的な生活が産業化への抵抗要因として働いていたことに対応し、専門化の過程でそこに綻びが生まれ、資本主義的な道/産業化へ進むことになる。
マニュファクチャーとファクトリーの違いなどは、「第二の産業分水嶺/著:マイケル・J. ピオリ、チャールズ・F. セーブル」がより詳しい。
本書で記載されるマニュファクチャーの下請け家内労働の需要変動のクッション材となる仕組み/構造は、そのまま現代の製造業の需要変動と下請け会社の仕組み/構造として国際的規模で大動脈から毛細血管まで様々なスケールで展開されている。
本書はこの毛細血管スケールの動きを追いかけるのに素晴らしい資料を提供してくれると思う。例えば鉄道、自動車が登場する以前の陸運における農民の役割とその輸送量の規模が持つ現代的意味について。
資本主義による商業領域の独占と国家の支援
資本主義的独占の問題は、イギリスやアムステルダムの<特許>会社(カンパニー)の考察を通して行われていく。
独占は、国家、商業世界(資本、銀行、信用、顧客)、遠くにある活用すべき商業ゾーンの3つが重要とされる。特に三番目の商業ゾーンだろう。距離の問題に限らず、多くの高度な商業テクニックを必要とし、高い利潤を持つ商業ゾーンは大資本の専用の猟場となり、独占の色合いを濃くしてゆく。
それだけの独占的資本の規制をつつも後押しをするのが国家である。ヴェネチア政府の大型船舶の建造と貸し出し、スペインの西インド会社のように。
階層化し共存/依存する新旧の体制
第二部最後の第五章では、再び構造のはなしに戻る。そしてブローデルの考える、社会の複数性/複数の社会(階層制、システム、秩序、生産様式、文化、言語、生き方)が同時代に共存し、良くも悪くも互いに依存し合う世界像が記述される。
まず商業世界の発展を見ていく。ヨーロッパでは大商人となると、二代、三代で商業を捨てて名誉ある地位へと移っていくのに対してユダヤ人、インドにおけるカースト、そして日本における身分制度はそういった道を閉ざし、長命な商家を生み出すような構造を同じ時代に持っていた。ただしヨーロッパでは資本家は姿を変えながらも代々と受け継いでいく構造を作り出していた。
ブルジョワジーが新たな階級としてのし上がっていった当時、その経済力の格差(能力によるヒエラルキー)の弊害は、身分社会の格差(出自によるヒエラルキー)の弊害の影に隠れて、貴族の寄生的無能性に対して活動的社会的有用性として対置され、免罪符を得る。
そして当時の下層プロレタリア/浮浪者たちはまだ一つのまとまりのある階級ではなく、一つの群れであった。それゆえに集団としての一貫性は欠如し、その自然発生的な暴力は一過性のものとして、まだ恐れるに足りぬものとされたいた。
次に国家を軸に、その構造の歴史が展開される。
国家のはじまりと官僚制
国家の任務とは、一、「合法的暴力」で服従させること。二、経済生活を監督し、財物の物流を組織し、所得を吸い上げ、行政あるいは戦争を準備すること。三、精神生活・文化に参加すること とされる。
二、の財政は、長らく不安定で国家のみに属さず、そのまわりの貴族たち/仲介者たちの私利私欲の影響を受けるかたちであった。その基盤は官僚制という独自の幹部を創出することによって形つくられていく。
官僚制とは封建制時代に王制から封土として土地=権力が与えられていたものが、国家から官職=権力が与えられるものである。国家はそのようにして力の階層制を築き上げていく。
国家の任務の三番目、社会・文化と資本主義の関係をヨーロッパ以外の文化も交えながら見ていく。
イスラム世界のヨーロッパ商業世界、ルネサンスへの影響。そして制限されていたキリスト教世界では商業世界への扉をスコラ哲学がルネサンスへ向けて準備していく。宗教が、教会は社会の接着剤として、重要な役割を果たしている。
ブローデルの解釈では、日本はヨーロッパと同じように二重の上流社会をもったと考えている。王制や貴族や国家といった社会と商業の社会。
それに対して、中国、インド、イスラム世界は単一の最上層が支配していた。
ヨーロッパが点在するように多様な国家が併存していたのに対して、日本では地形が多様な国家が併存することを許した。そして中国という入口からアクセス可能な国際的な遠距離貿易の存在があった。そして家系の長い持続を可能とする構造があり、蓄積が促され、資本主義への道が開かれていった。
ヴェネチア、アムステルダム、ロンドン、そしてパリの奢侈の比較も面白い。公共施設や個人的生活内に閉じたヴェネチア、アムステルダム、快適さという贅沢を好んだ十八世紀のブルジョワジーのロンドン。それに対して十八世紀のパリは奢侈の誇示の拡張というまた別の方向の発展がある。
この違いは各地域の現代のデザインの基本姿勢にも現れている。
結ばれた点と点の時間が同期し、活動が共鳴し生まれる文化と技術の複合体
地域を超えて共有された活動の時間、世界時間のイメージはこのようなものだと思われる。
しかしこの世界時間は例えば一つの国のなかでもチーズのように無数の穴や濃淡があって、共有されているエリアと共有されていないエリアが生じているような斑なものであり、結びつき共有されているのは基本的に各時代、各地域の上部構造/先進地域の部分である。
それが国や地域を超えて結びつくとその差はより激しくなる。
そのような異なる次元もまた階層化されて、互いに結びつきあい共存し、作用し合っていたことは第二部で見てきたところであり、むしろ上部構造を創出したのはこの下部構造からの押し上げであったというのがブローデルの見方だと思われる。
そして遠距離交易が盛んになるにつれて、この諸地域の上に国民というレイヤーが後に上から被さっていくことを国民市場のところで見ていくことになる。
第三部の世界時間は、そのような世界時間が共有される経済圏である世界=経済とともに、その特徴を確かめていき、第二章からはヴェネツィア、アンヴェルス、ジェノバ、アムステルダム、ロンドンと各時代の世界=経済がどのように発達してきたか?どのような特徴をもっていたのかを巡っていく。
それは「農業経済から脱出した自由で軽々しい都市国家」と「国家形成のために厖大な作業を抱えて農業経済から脱出できず閉鎖的で重々しい領域国家」という異なる国・地域像の比較(例えばイギリスに対してのフランス)という背景を持ちながら進められる。
そして空間の制圧。街道や航路、そして鉄道が通り、隊商宿やオアシス、寄港地が生まれ、広い面のなかに点と線が引かれていく。
結ばれた点と点のあいだの電位差によって経済の流れが動き出し、構造に持続性が与えられていく、金や力が蓄積されていく。そして点と線を流れる経済の流れの摩擦がさまざまな技術によって一つずつ取り除かれていき、構造が強化されていく。
ルネサンスのヴェネチア から 大航海時代のアムステルダムまで
ヴェネツィアからアムステルダムまでの発展は<南>の商業の発展とともにあり、かつ、十字軍・レヴァント貿易とヴェネツィア、ポルトガルの航路開発・ドイツ フッガー家/ヨーロッパの銅とアンヴェルス、スペイン/アメリカ大陸の銀とジェノバといった各時代の政治力や資源産出地との関係にもとづく遠方貿易の商業活動が軸に進められる。
アムステルダムはこれまでの都市国家から近代国家・国民経済の時代の境界に位置し、信用、商品を生産する工業の重要性が増していく。
それがもたらす人工的な環境は、干拓された土地・多くの外国人出身者(1/3とも言われる)とオランダがもつそもそもの自然特性だったのかもしれない。
工業の重要性が増すほど分業は促進され、オランダ内の都市間の役割分担が進む。通商を重要視するアムステルダムは商品を保管する倉庫が重要な位置を占めた。
そしてその流通を滞らせないための信用貸しによる決済がより発達した。そしてヴェネツィアがフィレンツェやイスラムなどの他人の技術を束ねて発展を遂げたように、アムステルダムもまたスペインやポルトガルなどの他人が開拓したアジア貿易を強奪していくことで発展していった。
この時代の東南アジアの香辛料は東西貿易の(特にインドへの)重要な鍵であった。しかしこの強硬姿勢はオランダ/アムステルダムのアメリカ大陸での失敗へとつながっていった。
国民経済の登場とロンドン
そしてロンドンとともに、アムステルダムが準備した経済技術<人工的な富>を駆使した本格的な近代経済が幕開けしていく。国民経済の登場は、それまでの広範囲に広がり閉鎖的で重々しかった辺境部や領域国家が都市に開かれ、より緊密に連動していく過程を描く。
文化と技術の違いについて
経済の本ではなく、歴史の本であるがゆえに、経済活動がそのまわりの様々な社会生活に支えられていることを第一部から注意深く描きだしている。特に国民経済の形成の過程は、先行した政治・文化の領域の存在の重要性を指摘している。消費とは文化的な行為であることを改めて感じる。
また文化が持っている、経済、政治、社会にはない特徴として、その持続性を挙げる点も面白い。流行のような移ろいやすいものもあるが(それに敏感に反応する経済は当然移ろいやすい)、風習や慣習などはやすやすとは変化していかないということである。
文化とは、精神でもあるし、ことばのあらゆる意味での生活様式でもあり、文学・芸術・イデオロギー・自覚の持ちようなどでもある。文化は、物質的・精神的な無数の財貨でできている。[…]技術はおそらく文明の身体にすぎず、その魂ではない。
p.73-77
こうした考え方は現代の文化心理学の考え方とも通じるところがあり興味深い。
風習や慣習の主体がいなくなり、辺境で文化が失われていっている現代社会とは何なのか?改めて考えてみたいと感じた。
世界時間Ⅱ
独占・競争・自給の三つの階層がつくる幾筋もの流れ
第三部:世界時間の二冊目。ヨーロッパの世界=経済を見てきた一冊目から変わって、アメリカ、アフリカ、ロシア、トルコ、極東(インド)と、ヨーロッパ以外の世界=経済を見てゆき、最後に産業革命の時代を確認していく。
ヨーロッパの発展を支えたアメリカ
ヨーロッパの縁辺として扱われたアメリカ大陸。ヨーロッパの近代性の大きな一助となる。スコットランドやアイルランドからの囚人、イギリス各地の植民地の流刑囚などの白人奴隷やインディオたちからはじまり、黒人奴隷とともに、古代、中世、ルネサンス、宗教改革などが混ざりあいながら、砂糖と資本主義と奴隷制度が肩を並べて行進する。
三角貿易を支えたアフリカ、搾取されたアフリカ
アフリカはヨーロッパの帝国主義とイスラム圏の帝国主義の両方から搾取された。その影響が生み出した構造は単純な一方的な搾取だけではなく、アフリカ人自身による奴隷貿易への協力、時には自分自身の両親や子ども、兄弟姉妹を奴隷として売ることもあった。
それは現代においても影響を受け続けている。同時に見なくてはならないのは、それだけの大規模な交易を可能とする商品の輸送システムがアフリカに備わっていたということである。
大きな村だったロシア
シベリアのやわらかい金と称された毛皮によって財をなし、その影響によって産業化は停滞し、都市機能は発達せずに長い間留まり、ロシアとは膨大な村だ、と言われた。
産業化/鉱山開発の足取りは18世紀初頭にアメリカの毛皮産業が競争相手として登場した後からであった。そしてその鉱山のかたちは自国の囚人をはじめとした強制労働者たちの力によって為された。
古くからの商業圏域トルコ
イスラム世界の経済帝国の中心として、黒海と紅海そして砂漠の隊商たちに支えられたトルコは、その古くからの商人集団によって自分たちの商業圏域をヨーロッパから守り続けてきていた。逆にその古い商業慣習の優秀さゆえに、ヨーロッパで発達した商業技術(信用貸しなど)は発達が遅れた。
恵まれた自然環境とその自然がもたらした交易によって古くから貨幣経済が根づき(今日においてもなお貴金属の消費地として君臨し続ける)、
世界の職人だったインド
全世界からの需要に、何百万という職人が古き良き手仕事による日々の生産に追われていた状態から、アメリカ大陸の銀によって扉を開かれ19世紀には産業化されたイギリスとの競争によって非産業化され、原料供給者の地位に引き戻されたインド
産業化の時代-経済成長を可能にするもの と 経済成長の仕方
産業革命を最初に経験したイギリスを含め、15世紀から18世紀の長い近代化/産業化の過程は働く者(人力)を犠牲にして生産性を高める国民所得の時代であり、積み上がっては崩れ、繰り返される運動によって様々なバリエーションの構造/資本主義を生み出した。
イギリス以前の国々の産業化を阻んだのが農業であれば、イギリスの産業化を助けたのも農業であった。国内、国外含めた高い農業生産性が増加する貧しい国民/労働者を基盤から支えた。
その爆発した人口増加がもともと少なかった森林を木炭消費で食い潰して、より安価な石炭の時代の到来をもたらした。世界の職人だったインドの木綿から世界の工場として国際競争に勝ち、産業化の時代がはっきりと幕を上げる。
1750年に今日の先進諸国のGNPの合計はその他の国々の合計の1/4程度だった。それが産業革命後の貧富の差が広がり、1880年から1900年頃に追い越し、1976年にはおよそ3倍となっている。
「経済成長を可能にするもの」は国家や社会や文化といった様々な要因のあいだの構造的関係にもとづいて緩やかに獲得されるものであるのに対して、「経済成長が実際に生ずる仕方」は短期的な状況(経済以外の要因も含め)に左右される。
バリエーション・世界に多様性を生み出すものとは?
どちらも経済成長には重要なものであり、この長い書物でも繰り返し現れるように、長期と短期が重なりあい、均衡のとれた成長と不均衡な成長の両方が現れる。そしてそれが様々なバリエーションを生み出す要因ともなっている。
15-18世紀の歴史を読む意義は、このバリエーションがどのように生まれ、今日にどのように影響を及ぼしているのか?を知ることではないかと思う。成長は全ての領域・空間で同時に起こらず、偏在しており、成長の速度・方向性の違いが世界=経済の構造を新たな方向へと導いていく。
「独占的資本主義(独占価格/大企業)」と「競争的資本主義(競争価格/中小企業)」と「非市場経済の領域(無償の労働/家事・自然環境)」というおおまかな区分だけでも、古いものと新しいものが混在して、相互に働きあって、経済も、社会も、国家も、文化も動いていることがわかる。
家事の領域で、子どもが生まれなければ、資本主義へは労働者は供給されない、逆に両方の資本主義から様々なサービスが供給されることで現代社会の出産と人口(低い出生率と低い児童死亡率)は維持されている。
この古いものと新しいものが混在した世界の、各ポイントで、その相異なる要素を滑らかに噛み合わせるための努力をする必要があるのだと本書を読んで感じる。
関連資料
交換のはたらきⅠ
新しいものと古いものが併存する階層的な発展
第二部「交換のはたらき」では第一部「日常の構造」で描かれた物質文明、経済生活の基礎から供給される資源の「交換」に焦点をあわせて議論が展開していき、交換が行われる市・常設市場、市場経済そして資本主義と交換がどのように歴史のなかに現れて、そして発展してきたかを見ていく。
市の発展は直線的な歴史ではなく、新しいものも古いものも併存する階層的な発展として生じる。
それは無数の小さな点というかたちで自給自足的な物質生活と経済生活の接触を通してはじまり、その点が寄り集まったり、散り散りになったりしながら、交換を継続する術(為替手形など)を発展させながら、市場という固定化された中心/ハブへと成長していく。
それは自己組織化して巨大な流れとなる大河のような、階層化され組織された流れ。そういう意味で経済活動とは、大きな流れだけでも、小さい流れだけでも、その脈動は維持することができない。
太くて速く輸送される流れの階層 と 細くてゆっくり交換される流れの階層
熱力学の分野での研究から「モノゴトの流れ」は階層化された構造をもつことによって、最適化されて効率的にモノゴトを運ぶことができるようになるらしい、そこには太くて早い流れ と 細くて遅い流れ という階層化が生じる。
それは本書での国際的空間と地方的空間という二つの異なる空間に相当するように思えるし、訳者あとがきでの
「人が集まることで権力が生み出されないような社会は存在しません。社会は自動的にその階層制/ヒエラルキーつまりピラミッドを作り出すのです。それを壊そうとすることはおそらく時間の無駄でしょう」
というブローデルの言葉にも通じるように思える。
それはロンドンの例で示されるように、地方が都市に吸収されて専門化し、商業へ参加しはじめ、市場が大きくなるにつれて対面の関係の限界を迎え、仲介者のチェーンが形成されて階層化していく過程である。
別のところではトスカナの事例を通して、作物の専門化が生じるたびに農業は資本主義的[企業]への道に踏み込む傾向を持つ、としている。そしてそれは農民がもつ自給自足的な物質文明の綻びを生み、農村のバランスを崩し、大地主・大規模経営者の生産の独占、分配の独占、国際的システムへの奉仕へと結びついていく。
自然発生的な文化と人為的な社会技術の複合体
しかし本当の意味での自己組織化のように物理法則のバランスで自発的にすべての階層化された構造のデザインが発展していくものではなく、意識的なデザイン、社会的なものも大事な要素となり、社会的なものと自然発生的なものが混ざりあったものとなることを、本書で示される様々な歴史的事例は示している。
例えば高利貸しを禁じたキリスト教世界におけるユダヤ人のような宗教的背景、近世アジアにおけるヨーロッパ人の現地商人からの信頼を得るための様々な努力、十八世紀十九世紀のインド、中国における内部からの崩壊とヨーロッパの台頭、西欧における貴族とブルジョアジーという階級の違い、鉱山技術、航海技術、造船技術といったさまざまな技術の発達
鉱山の様子が記述されるのは、それが工業都市の原初的な姿だと考えているからだろうか?そしてそこから産出された貴金属が当時のヨーロッパが国際経済を回す主役の一つだったからだろうか。
同じような役割として精糖産業もまた記述される。両者で見られる生産分野の地位の低さと、ブルートンが定義する資本主義の「収入の源である資本が、一般に、自身の労働によってそれを活用する人々に属していない経済・社会体制」という特徴はあらゆる産業へと引き継がれているように思える。
流動資本と固定資本の均衡
本書で二度引用される マルクス=エンゲルスの言葉
「社会は消費をやめることができないように、生産をやめることもできない」
資本論第一巻第七編第二十一章
生産は経済学の世界では、労働者や穀物、燃料といった回転速度の速い「流動資本」と、建物などの不動産や道具、機械設備といった回転速度の遅い「固定資本」という二つの異なる速度で消費される資本から行われる。
近代化の過程とは、流動資本が生産の中心的存在だった生産構造から、固定資本が生産の中心となる生産構造へと変化していく過程だったと捉えられる。
機械に従属する労働者のイメージがまさにそれだろうし、その固定資本を回収するために新しい需要=流行を無から創り出すファッション産業のような形態もまた機械生産によって可能となった変化であった。
そして増大する固定資本の力と地球の流動資本を(人/労働力も含め)どのようにバランスを取るか?ということが現代的な課題となっていく。
交換のはたらきⅡ
国家・文化・社会が交換の活動の骨格を与える
第二部「交換のはたらき」の二冊目である本書は、前書で展開された生産と資本主義の関係の続きからはじまり、資本主義の中心的領域である商取引、国家を含めた社会構造、と資本主義の関係を見ていく。
季節のリズム(農村)に囚われていたマニュファクチャー
農家の休耕期と結びついた家内工場からマニュファクチャーの時代までは、ファクトリー(工場)の機械ではなく、人の生産力が重要な要素となり、季節のリズムに縛られていた。
これは一冊目で農家の自給自足的な生活が産業化への抵抗要因として働いていたことに対応し、専門化の過程でそこに綻びが生まれ、資本主義的な道/産業化へ進むことになる。
マニュファクチャーとファクトリーの違いなどは、「第二の産業分水嶺/著:マイケル・J. ピオリ、チャールズ・F. セーブル」がより詳しい。
本書で記載されるマニュファクチャーの下請け家内労働の需要変動のクッション材となる仕組み/構造は、そのまま現代の製造業の需要変動と下請け会社の仕組み/構造として国際的規模で大動脈から毛細血管まで様々なスケールで展開されている。
本書はこの毛細血管スケールの動きを追いかけるのに素晴らしい資料を提供してくれると思う。例えば鉄道、自動車が登場する以前の陸運における農民の役割とその輸送量の規模が持つ現代的意味について。
資本主義による商業領域の独占と国家の支援
資本主義的独占の問題は、イギリスやアムステルダムの<特許>会社(カンパニー)の考察を通して行われていく。
独占は、国家、商業世界(資本、銀行、信用、顧客)、遠くにある活用すべき商業ゾーンの3つが重要とされる。特に三番目の商業ゾーンだろう。距離の問題に限らず、多くの高度な商業テクニックを必要とし、高い利潤を持つ商業ゾーンは大資本の専用の猟場となり、独占の色合いを濃くしてゆく。
それだけの独占的資本の規制をつつも後押しをするのが国家である。ヴェネチア政府の大型船舶の建造と貸し出し、スペインの西インド会社のように。
階層化し共存/依存する新旧の体制
第二部最後の第五章では、再び構造のはなしに戻る。そしてブローデルの考える、社会の複数性/複数の社会(階層制、システム、秩序、生産様式、文化、言語、生き方)が同時代に共存し、良くも悪くも互いに依存し合う世界像が記述される。
まず商業世界の発展を見ていく。ヨーロッパでは大商人となると、二代、三代で商業を捨てて名誉ある地位へと移っていくのに対してユダヤ人、インドにおけるカースト、そして日本における身分制度はそういった道を閉ざし、長命な商家を生み出すような構造を同じ時代に持っていた。ただしヨーロッパでは資本家は姿を変えながらも代々と受け継いでいく構造を作り出していた。
ブルジョワジーが新たな階級としてのし上がっていった当時、その経済力の格差(能力によるヒエラルキー)の弊害は、身分社会の格差(出自によるヒエラルキー)の弊害の影に隠れて、貴族の寄生的無能性に対して活動的社会的有用性として対置され、免罪符を得る。
そして当時の下層プロレタリア/浮浪者たちはまだ一つのまとまりのある階級ではなく、一つの群れであった。それゆえに集団としての一貫性は欠如し、その自然発生的な暴力は一過性のものとして、まだ恐れるに足りぬものとされたいた。
次に国家を軸に、その構造の歴史が展開される。
国家のはじまりと官僚制
国家の任務とは、一、「合法的暴力」で服従させること。二、経済生活を監督し、財物の物流を組織し、所得を吸い上げ、行政あるいは戦争を準備すること。三、精神生活・文化に参加すること とされる。
二、の財政は、長らく不安定で国家のみに属さず、そのまわりの貴族たち/仲介者たちの私利私欲の影響を受けるかたちであった。その基盤は官僚制という独自の幹部を創出することによって形つくられていく。
官僚制とは封建制時代に王制から封土として土地=権力が与えられていたものが、国家から官職=権力が与えられるものである。国家はそのようにして力の階層制を築き上げていく。
国家の任務の三番目、社会・文化と資本主義の関係をヨーロッパ以外の文化も交えながら見ていく。
イスラム世界のヨーロッパ商業世界、ルネサンスへの影響。そして制限されていたキリスト教世界では商業世界への扉をスコラ哲学がルネサンスへ向けて準備していく。宗教が、教会は社会の接着剤として、重要な役割を果たしている。
ブローデルの解釈では、日本はヨーロッパと同じように二重の上流社会をもったと考えている。王制や貴族や国家といった社会と商業の社会。
それに対して、中国、インド、イスラム世界は単一の最上層が支配していた。
ヨーロッパが点在するように多様な国家が併存していたのに対して、日本では地形が多様な国家が併存することを許した。そして中国という入口からアクセス可能な国際的な遠距離貿易の存在があった。そして家系の長い持続を可能とする構造があり、蓄積が促され、資本主義への道が開かれていった。
ヴェネチア、アムステルダム、ロンドン、そしてパリの奢侈の比較も面白い。公共施設や個人的生活内に閉じたヴェネチア、アムステルダム、快適さという贅沢を好んだ十八世紀のブルジョワジーのロンドン。それに対して十八世紀のパリは奢侈の誇示の拡張というまた別の方向の発展がある。
この違いは各地域の現代のデザインの基本姿勢にも現れている。
結ばれた点と点の時間が同期し、活動が共鳴し生まれる文化と技術の複合体
地域を超えて共有された活動の時間、世界時間のイメージはこのようなものだと思われる。
しかしこの世界時間は例えば一つの国のなかでもチーズのように無数の穴や濃淡があって、共有されているエリアと共有されていないエリアが生じているような斑なものであり、結びつき共有されているのは基本的に各時代、各地域の上部構造/先進地域の部分である。
それが国や地域を超えて結びつくとその差はより激しくなる。
そのような異なる次元もまた階層化されて、互いに結びつきあい共存し、作用し合っていたことは第二部で見てきたところであり、むしろ上部構造を創出したのはこの下部構造からの押し上げであったというのがブローデルの見方だと思われる。
そして遠距離交易が盛んになるにつれて、この諸地域の上に国民というレイヤーが後に上から被さっていくことを国民市場のところで見ていくことになる。
第三部の世界時間は、そのような世界時間が共有される経済圏である世界=経済とともに、その特徴を確かめていき、第二章からはヴェネツィア、アンヴェルス、ジェノバ、アムステルダム、ロンドンと各時代の世界=経済がどのように発達してきたか?どのような特徴をもっていたのかを巡っていく。
それは「農業経済から脱出した自由で軽々しい都市国家」と「国家形成のために厖大な作業を抱えて農業経済から脱出できず閉鎖的で重々しい領域国家」という異なる国・地域像の比較(例えばイギリスに対してのフランス)という背景を持ちながら進められる。
そして空間の制圧。街道や航路、そして鉄道が通り、隊商宿やオアシス、寄港地が生まれ、広い面のなかに点と線が引かれていく。
結ばれた点と点のあいだの電位差によって経済の流れが動き出し、構造に持続性が与えられていく、金や力が蓄積されていく。そして点と線を流れる経済の流れの摩擦がさまざまな技術によって一つずつ取り除かれていき、構造が強化されていく。
ルネサンスのヴェネチア から 大航海時代のアムステルダムまで
ヴェネツィアからアムステルダムまでの発展は<南>の商業の発展とともにあり、かつ、十字軍・レヴァント貿易とヴェネツィア、ポルトガルの航路開発・ドイツ フッガー家/ヨーロッパの銅とアンヴェルス、スペイン/アメリカ大陸の銀とジェノバといった各時代の政治力や資源産出地との関係にもとづく遠方貿易の商業活動が軸に進められる。
アムステルダムはこれまでの都市国家から近代国家・国民経済の時代の境界に位置し、信用、商品を生産する工業の重要性が増していく。
それがもたらす人工的な環境は、干拓された土地・多くの外国人出身者(1/3とも言われる)とオランダがもつそもそもの自然特性だったのかもしれない。
工業の重要性が増すほど分業は促進され、オランダ内の都市間の役割分担が進む。通商を重要視するアムステルダムは商品を保管する倉庫が重要な位置を占めた。
そしてその流通を滞らせないための信用貸しによる決済がより発達した。そしてヴェネツィアがフィレンツェやイスラムなどの他人の技術を束ねて発展を遂げたように、アムステルダムもまたスペインやポルトガルなどの他人が開拓したアジア貿易を強奪していくことで発展していった。
この時代の東南アジアの香辛料は東西貿易の(特にインドへの)重要な鍵であった。しかしこの強硬姿勢はオランダ/アムステルダムのアメリカ大陸での失敗へとつながっていった。
国民経済の登場とロンドン
そしてロンドンとともに、アムステルダムが準備した経済技術<人工的な富>を駆使した本格的な近代経済が幕開けしていく。国民経済の登場は、それまでの広範囲に広がり閉鎖的で重々しかった辺境部や領域国家が都市に開かれ、より緊密に連動していく過程を描く。
文化と技術の違いについて
経済の本ではなく、歴史の本であるがゆえに、経済活動がそのまわりの様々な社会生活に支えられていることを第一部から注意深く描きだしている。特に国民経済の形成の過程は、先行した政治・文化の領域の存在の重要性を指摘している。消費とは文化的な行為であることを改めて感じる。
また文化が持っている、経済、政治、社会にはない特徴として、その持続性を挙げる点も面白い。流行のような移ろいやすいものもあるが(それに敏感に反応する経済は当然移ろいやすい)、風習や慣習などはやすやすとは変化していかないということである。
文化とは、精神でもあるし、ことばのあらゆる意味での生活様式でもあり、文学・芸術・イデオロギー・自覚の持ちようなどでもある。文化は、物質的・精神的な無数の財貨でできている。[…]技術はおそらく文明の身体にすぎず、その魂ではない。
p.73-77
こうした考え方は現代の文化心理学の考え方とも通じるところがあり興味深い。
風習や慣習の主体がいなくなり、辺境で文化が失われていっている現代社会とは何なのか?改めて考えてみたいと感じた。
世界時間Ⅱ
独占・競争・自給の三つの階層がつくる幾筋もの流れ
第三部:世界時間の二冊目。ヨーロッパの世界=経済を見てきた一冊目から変わって、アメリカ、アフリカ、ロシア、トルコ、極東(インド)と、ヨーロッパ以外の世界=経済を見てゆき、最後に産業革命の時代を確認していく。
ヨーロッパの発展を支えたアメリカ
ヨーロッパの縁辺として扱われたアメリカ大陸。ヨーロッパの近代性の大きな一助となる。スコットランドやアイルランドからの囚人、イギリス各地の植民地の流刑囚などの白人奴隷やインディオたちからはじまり、黒人奴隷とともに、古代、中世、ルネサンス、宗教改革などが混ざりあいながら、砂糖と資本主義と奴隷制度が肩を並べて行進する。
三角貿易を支えたアフリカ、搾取されたアフリカ
アフリカはヨーロッパの帝国主義とイスラム圏の帝国主義の両方から搾取された。その影響が生み出した構造は単純な一方的な搾取だけではなく、アフリカ人自身による奴隷貿易への協力、時には自分自身の両親や子ども、兄弟姉妹を奴隷として売ることもあった。
それは現代においても影響を受け続けている。同時に見なくてはならないのは、それだけの大規模な交易を可能とする商品の輸送システムがアフリカに備わっていたということである。
大きな村だったロシア
シベリアのやわらかい金と称された毛皮によって財をなし、その影響によって産業化は停滞し、都市機能は発達せずに長い間留まり、ロシアとは膨大な村だ、と言われた。
産業化/鉱山開発の足取りは18世紀初頭にアメリカの毛皮産業が競争相手として登場した後からであった。そしてその鉱山のかたちは自国の囚人をはじめとした強制労働者たちの力によって為された。
古くからの商業圏域トルコ
イスラム世界の経済帝国の中心として、黒海と紅海そして砂漠の隊商たちに支えられたトルコは、その古くからの商人集団によって自分たちの商業圏域をヨーロッパから守り続けてきていた。逆にその古い商業慣習の優秀さゆえに、ヨーロッパで発達した商業技術(信用貸しなど)は発達が遅れた。
恵まれた自然環境とその自然がもたらした交易によって古くから貨幣経済が根づき(今日においてもなお貴金属の消費地として君臨し続ける)、
世界の職人だったインド
全世界からの需要に、何百万という職人が古き良き手仕事による日々の生産に追われていた状態から、アメリカ大陸の銀によって扉を開かれ19世紀には産業化されたイギリスとの競争によって非産業化され、原料供給者の地位に引き戻されたインド
産業化の時代-経済成長を可能にするもの と 経済成長の仕方
産業革命を最初に経験したイギリスを含め、15世紀から18世紀の長い近代化/産業化の過程は働く者(人力)を犠牲にして生産性を高める国民所得の時代であり、積み上がっては崩れ、繰り返される運動によって様々なバリエーションの構造/資本主義を生み出した。
イギリス以前の国々の産業化を阻んだのが農業であれば、イギリスの産業化を助けたのも農業であった。国内、国外含めた高い農業生産性が増加する貧しい国民/労働者を基盤から支えた。
その爆発した人口増加がもともと少なかった森林を木炭消費で食い潰して、より安価な石炭の時代の到来をもたらした。世界の職人だったインドの木綿から世界の工場として国際競争に勝ち、産業化の時代がはっきりと幕を上げる。
1750年に今日の先進諸国のGNPの合計はその他の国々の合計の1/4程度だった。それが産業革命後の貧富の差が広がり、1880年から1900年頃に追い越し、1976年にはおよそ3倍となっている。
「経済成長を可能にするもの」は国家や社会や文化といった様々な要因のあいだの構造的関係にもとづいて緩やかに獲得されるものであるのに対して、「経済成長が実際に生ずる仕方」は短期的な状況(経済以外の要因も含め)に左右される。
バリエーション・世界に多様性を生み出すものとは?
どちらも経済成長には重要なものであり、この長い書物でも繰り返し現れるように、長期と短期が重なりあい、均衡のとれた成長と不均衡な成長の両方が現れる。そしてそれが様々なバリエーションを生み出す要因ともなっている。
15-18世紀の歴史を読む意義は、このバリエーションがどのように生まれ、今日にどのように影響を及ぼしているのか?を知ることではないかと思う。成長は全ての領域・空間で同時に起こらず、偏在しており、成長の速度・方向性の違いが世界=経済の構造を新たな方向へと導いていく。
「独占的資本主義(独占価格/大企業)」と「競争的資本主義(競争価格/中小企業)」と「非市場経済の領域(無償の労働/家事・自然環境)」というおおまかな区分だけでも、古いものと新しいものが混在して、相互に働きあって、経済も、社会も、国家も、文化も動いていることがわかる。
家事の領域で、子どもが生まれなければ、資本主義へは労働者は供給されない、逆に両方の資本主義から様々なサービスが供給されることで現代社会の出産と人口(低い出生率と低い児童死亡率)は維持されている。
この古いものと新しいものが混在した世界の、各ポイントで、その相異なる要素を滑らかに噛み合わせるための努力をする必要があるのだと本書を読んで感じる。
関連資料
日常の構造Ⅱ
選択の土台としての物質文明
第一部/日常の構造の二巻目は日常生活を構成していった技術・貨幣・都市に関して、産業革命期へ向けてゆっくりと、多様な文化がひしめき合う世界各地の社会経済のなかで気づかれないまま静かに、変化が、共通の技術が蓄積・共有されていったかが論じられている。
そしてまとめとして、この日常の構造をつくりだす物質生活の柔軟性の乏しさに対して、資本主義がもっていた「選択」の自由という特権が対比的に示されて、次の「交換のはたらき」へと話が受け渡される。この選択の土台こそが、物質生活が提供しているものなのである。
世界に不均衡・不均斉をもたらした三大技術革命
十五世紀から十八世紀にかけての三大革命として、「大砲」「印刷」「外洋航海」の三つが挙げられている。そしてこの三つは普及が停滞し、世界に不均衡・不均斉をもたらしたと、されている。(そして、この不均衡・不均斉が資本主義を活気づけ、特権者の選択の自由を高めたということだろう)
大砲の技術伝播の歴史を見ていると、軍事技術がいかに早く拡散し、均衡に達しやすいか?逆にその差がいかに重要で、その僅かな時間差が大きな優劣へと繋がっていくかということが感じ取れる。
印刷は本書ではあまり多くは書かれていない印象だったが、情報伝達、意識の統一/プロパガンダとしての機能の重要性とそれゆえの権力との結びつきは大事に思う。
航路の発見と地球を循環する大気の流れ
外洋航海こそが本書において肝となる部分であろう。本書では十二世紀のアジアの海は平和な世界で、陸の領土の境界線と同じように海にも固定された境界線があり、それが侵されることなくアジアからアフリカ・ヨーロッパまで交易が広くゆきわたっていたとされる。
大きく変わったきっかけはヨーロッパによる大西洋航路の発見とその独占だったのだろう。
貿易風の発見は大西洋航路だけでなく、太平洋航路やインド洋の新しい航路へとつながり、世界をより緊密にするための道を開いた。
貨幣と信用は言語である
そして、その緊密な世界に物資が巡るための下準備が貨幣と信用の登場によって着々と進められていた。
地中海から北ヨーロッパへ、ヨーロッパからレバント貿易を介してアジアへと流れた商品とお金の双方向の流れは、そうした技術を世界各地で少しずつ育てられて、共有されていくことで、離れた世界・文化をつなぐための術が広がっていった。
「貨幣と信用は言語である」と本書では書かれる、はじめは地方地方で異なった言語が少しずつ翻訳され、そして共通の標準言語を介して、より大量に、より素早く、より安心して対話を行える環境が少しずつ調えられていった。
インドが金をはじめとした鉱物資源を持たなかったということは、それによって貨幣が早くからこの地域で流通し、そして同時に外の貨幣に対して開かれた状態が続いたという運動の原因の一つである。
この環境と経済との関係性、そして外部経済に対して外に開かれ続ける場が、そして外貨獲得のために世界の工場のように様々な物産を作り続けた場がヨーロッパと東・東南アジアの結節点にあったということの世界史へ与えた影響の強さは改めて見直してみても良いのかもしれない。
階層化されてゆく経済活動の源
都市の農村の階層化と分業化がもたらす相互作用の歴史
都市に関しての論述は、階層化、分業化との相互作用の歴史である。
都市は食糧生産の面でも、出生の面でも自給が出来ないため、つねに農村部や移民を供給する貧困地域を必要とする。本書ではその関係を植民地支配と表現している。
同時に都市の成長は農村に依存し、同時に農村の成長も都市に依存するという運命共同体としての特性、そして海外貿易が盛んな一部の大都市以外の都市の商人や職人たちの兼業農家としての働き(まるで日本の地方都市のような)が描かれる。
都市は混合を促進する装置だったのか?それとも分割を明確化する装置だったのか?
個人主義の道 と 集団主義の道
本書ではかたやイスラム都市の宗教ごとの分割、アジアではカースト制度や儒教をはじめとする先祖崇拝の影響によって混合は妨げられて、都市的な個人主義の発達が生じにくかったように推定している。
それに対して、西ヨーロッパの都市では古くからの絆を断ち切り、個人を同一平面に置いていったと。その一方で、ヨーロッパの都市もまたその富裕・貧困の違いや民族の違いによって居住エリアが分割される傾向はやはりみられる。
わたしたちの様々な文化は絶えず混合されて混じっていく一方で、常に再生産されてその境界を曖昧ながらもしっかりと持ち続けているように思える。それはヨーロッパが侵略し始める前のアジアの海洋世界のように。
人力の遍在性と高圧縮エネルギー源
本書の技術に関して目を見張るのは、人力に対しての重要性の高さである。これは単純に他の手段がなかったというのに留まらず、水力や風力のように偏在するエネルギーと違い、今日の電気のように容易に遍在可能で優秀なエネルギー源・労働力であったということに尽きると思われる。
教育コストの課題はあっただろうが、時間も十分にあった。
そのため道具は人中心・人の動作中心に組み立てられて、人の違い・動作の違いだけ道具の種類も増えた。この人力中心の世界観は全世界的に見られた共通の技術観だと思われる(扱う規模や質に対して、人力がフィットしていたというのもあるのだろう)。
多くの社会はこの人力、そして人口というものに、良くも悪くも依存し、囚われていた。
現在もそうだが大量の人口を抱えるアジアにおいては特にそういった傾向が強かった(それを許容させる地理的・地形的要因と文化的要因も大事ではあるだろう)。それに対して十三世紀のヨーロッパの人口減少はそういう意味で、その足枷を外す一つの要因であったのかもしれない。
この人力中心主義のなかに機械技術が蓄積されてゆく過程で大きな影響を与えたのは鉱業の分野であったように感じる。
人力では追いつかない質の仕事、精錬をはじめとした様々な化学の知識の必要性、その化学反応を効率的に実現するための仕組みづくり、そしてそこから生まれる商品では自給自足が出来ない労働者たちと彼らを養うための都市-農村環境、交易が促進されてゆく。
また人力中心主義が大きな影響を与えたのは物々交換の持続に関してではないだろうか。
貨幣は早くから世界各地で流通し交換を組織し、その社会経済範囲を今なお広げていっているが、その一方で世界には今なお非貨幣経済・非市場経済の領域が広く存在し続けている。
本書を読んで感じるのは、この貨幣・非貨幣という異なる交換システムの規模や範囲は時代と共にその組み合わさり方を変えてきた、まるで生物の血管が素早く運ぶ太い血管とゆっくりと交換を可能とする細い血管という異なる二つの極からなる階層を自己生成的に進化させてきたかのように。
交換のはたらきⅠ
新しいものと古いものが併存する階層的な発展
第二部「交換のはたらき」では第一部「日常の構造」で描かれた物質文明、経済生活の基礎から供給される資源の「交換」に焦点をあわせて議論が展開していき、交換が行われる市・常設市場、市場経済そして資本主義と交換がどのように歴史のなかに現れて、そして発展してきたかを見ていく。
市の発展は直線的な歴史ではなく、新しいものも古いものも併存する階層的な発展として生じる。
それは無数の小さな点というかたちで自給自足的な物質生活と経済生活の接触を通してはじまり、その点が寄り集まったり、散り散りになったりしながら、交換を継続する術(為替手形など)を発展させながら、市場という固定化された中心/ハブへと成長していく。
それは自己組織化して巨大な流れとなる大河のような、階層化され組織された流れ。そういう意味で経済活動とは、大きな流れだけでも、小さい流れだけでも、その脈動は維持することができない。
太くて速く輸送される流れの階層 と 細くてゆっくり交換される流れの階層
熱力学の分野での研究から「モノゴトの流れ」は階層化された構造をもつことによって、最適化されて効率的にモノゴトを運ぶことができるようになるらしい、そこには太くて早い流れ と 細くて遅い流れ という階層化が生じる。
それは本書での国際的空間と地方的空間という二つの異なる空間に相当するように思えるし、訳者あとがきでの
「人が集まることで権力が生み出されないような社会は存在しません。社会は自動的にその階層制/ヒエラルキーつまりピラミッドを作り出すのです。それを壊そうとすることはおそらく時間の無駄でしょう」
というブローデルの言葉にも通じるように思える。
それはロンドンの例で示されるように、地方が都市に吸収されて専門化し、商業へ参加しはじめ、市場が大きくなるにつれて対面の関係の限界を迎え、仲介者のチェーンが形成されて階層化していく過程である。
別のところではトスカナの事例を通して、作物の専門化が生じるたびに農業は資本主義的[企業]への道に踏み込む傾向を持つ、としている。そしてそれは農民がもつ自給自足的な物質文明の綻びを生み、農村のバランスを崩し、大地主・大規模経営者の生産の独占、分配の独占、国際的システムへの奉仕へと結びついていく。
自然発生的な文化と人為的な社会技術の複合体
しかし本当の意味での自己組織化のように物理法則のバランスで自発的にすべての階層化された構造のデザインが発展していくものではなく、意識的なデザイン、社会的なものも大事な要素となり、社会的なものと自然発生的なものが混ざりあったものとなることを、本書で示される様々な歴史的事例は示している。
例えば高利貸しを禁じたキリスト教世界におけるユダヤ人のような宗教的背景、近世アジアにおけるヨーロッパ人の現地商人からの信頼を得るための様々な努力、十八世紀十九世紀のインド、中国における内部からの崩壊とヨーロッパの台頭、西欧における貴族とブルジョアジーという階級の違い、鉱山技術、航海技術、造船技術といったさまざまな技術の発達
鉱山の様子が記述されるのは、それが工業都市の原初的な姿だと考えているからだろうか?そしてそこから産出された貴金属が当時のヨーロッパが国際経済を回す主役の一つだったからだろうか。
同じような役割として精糖産業もまた記述される。両者で見られる生産分野の地位の低さと、ブルートンが定義する資本主義の「収入の源である資本が、一般に、自身の労働によってそれを活用する人々に属していない経済・社会体制」という特徴はあらゆる産業へと引き継がれているように思える。
流動資本と固定資本の均衡
本書で二度引用される マルクス=エンゲルスの言葉
「社会は消費をやめることができないように、生産をやめることもできない」
資本論第一巻第七編第二十一章
生産は経済学の世界では、労働者や穀物、燃料といった回転速度の速い「流動資本」と、建物などの不動産や道具、機械設備といった回転速度の遅い「固定資本」という二つの異なる速度で消費される資本から行われる。
近代化の過程とは、流動資本が生産の中心的存在だった生産構造から、固定資本が生産の中心となる生産構造へと変化していく過程だったと捉えられる。
機械に従属する労働者のイメージがまさにそれだろうし、その固定資本を回収するために新しい需要=流行を無から創り出すファッション産業のような形態もまた機械生産によって可能となった変化であった。
そして増大する固定資本の力と地球の流動資本を(人/労働力も含め)どのようにバランスを取るか?ということが現代的な課題となっていく。
交換のはたらきⅡ
国家・文化・社会が交換の活動の骨格を与える
第二部「交換のはたらき」の二冊目である本書は、前書で展開された生産と資本主義の関係の続きからはじまり、資本主義の中心的領域である商取引、国家を含めた社会構造、と資本主義の関係を見ていく。
季節のリズム(農村)に囚われていたマニュファクチャー
農家の休耕期と結びついた家内工場からマニュファクチャーの時代までは、ファクトリー(工場)の機械ではなく、人の生産力が重要な要素となり、季節のリズムに縛られていた。
これは一冊目で農家の自給自足的な生活が産業化への抵抗要因として働いていたことに対応し、専門化の過程でそこに綻びが生まれ、資本主義的な道/産業化へ進むことになる。
マニュファクチャーとファクトリーの違いなどは、「第二の産業分水嶺/著:マイケル・J. ピオリ、チャールズ・F. セーブル」がより詳しい。
本書で記載されるマニュファクチャーの下請け家内労働の需要変動のクッション材となる仕組み/構造は、そのまま現代の製造業の需要変動と下請け会社の仕組み/構造として国際的規模で大動脈から毛細血管まで様々なスケールで展開されている。
本書はこの毛細血管スケールの動きを追いかけるのに素晴らしい資料を提供してくれると思う。例えば鉄道、自動車が登場する以前の陸運における農民の役割とその輸送量の規模が持つ現代的意味について。
資本主義による商業領域の独占と国家の支援
資本主義的独占の問題は、イギリスやアムステルダムの<特許>会社(カンパニー)の考察を通して行われていく。
独占は、国家、商業世界(資本、銀行、信用、顧客)、遠くにある活用すべき商業ゾーンの3つが重要とされる。特に三番目の商業ゾーンだろう。距離の問題に限らず、多くの高度な商業テクニックを必要とし、高い利潤を持つ商業ゾーンは大資本の専用の猟場となり、独占の色合いを濃くしてゆく。
それだけの独占的資本の規制をつつも後押しをするのが国家である。ヴェネチア政府の大型船舶の建造と貸し出し、スペインの西インド会社のように。
階層化し共存/依存する新旧の体制
第二部最後の第五章では、再び構造のはなしに戻る。そしてブローデルの考える、社会の複数性/複数の社会(階層制、システム、秩序、生産様式、文化、言語、生き方)が同時代に共存し、良くも悪くも互いに依存し合う世界像が記述される。
まず商業世界の発展を見ていく。ヨーロッパでは大商人となると、二代、三代で商業を捨てて名誉ある地位へと移っていくのに対してユダヤ人、インドにおけるカースト、そして日本における身分制度はそういった道を閉ざし、長命な商家を生み出すような構造を同じ時代に持っていた。ただしヨーロッパでは資本家は姿を変えながらも代々と受け継いでいく構造を作り出していた。
ブルジョワジーが新たな階級としてのし上がっていった当時、その経済力の格差(能力によるヒエラルキー)の弊害は、身分社会の格差(出自によるヒエラルキー)の弊害の影に隠れて、貴族の寄生的無能性に対して活動的社会的有用性として対置され、免罪符を得る。
そして当時の下層プロレタリア/浮浪者たちはまだ一つのまとまりのある階級ではなく、一つの群れであった。それゆえに集団としての一貫性は欠如し、その自然発生的な暴力は一過性のものとして、まだ恐れるに足りぬものとされたいた。
次に国家を軸に、その構造の歴史が展開される。
国家のはじまりと官僚制
国家の任務とは、一、「合法的暴力」で服従させること。二、経済生活を監督し、財物の物流を組織し、所得を吸い上げ、行政あるいは戦争を準備すること。三、精神生活・文化に参加すること とされる。
二、の財政は、長らく不安定で国家のみに属さず、そのまわりの貴族たち/仲介者たちの私利私欲の影響を受けるかたちであった。その基盤は官僚制という独自の幹部を創出することによって形つくられていく。
官僚制とは封建制時代に王制から封土として土地=権力が与えられていたものが、国家から官職=権力が与えられるものである。国家はそのようにして力の階層制を築き上げていく。
国家の任務の三番目、社会・文化と資本主義の関係をヨーロッパ以外の文化も交えながら見ていく。
イスラム世界のヨーロッパ商業世界、ルネサンスへの影響。そして制限されていたキリスト教世界では商業世界への扉をスコラ哲学がルネサンスへ向けて準備していく。宗教が、教会は社会の接着剤として、重要な役割を果たしている。
ブローデルの解釈では、日本はヨーロッパと同じように二重の上流社会をもったと考えている。王制や貴族や国家といった社会と商業の社会。
それに対して、中国、インド、イスラム世界は単一の最上層が支配していた。
ヨーロッパが点在するように多様な国家が併存していたのに対して、日本では地形が多様な国家が併存することを許した。そして中国という入口からアクセス可能な国際的な遠距離貿易の存在があった。そして家系の長い持続を可能とする構造があり、蓄積が促され、資本主義への道が開かれていった。
ヴェネチア、アムステルダム、ロンドン、そしてパリの奢侈の比較も面白い。公共施設や個人的生活内に閉じたヴェネチア、アムステルダム、快適さという贅沢を好んだ十八世紀のブルジョワジーのロンドン。それに対して十八世紀のパリは奢侈の誇示の拡張というまた別の方向の発展がある。
この違いは各地域の現代のデザインの基本姿勢にも現れている。
結ばれた点と点の時間が同期し、活動が共鳴し生まれる文化と技術の複合体
地域を超えて共有された活動の時間、世界時間のイメージはこのようなものだと思われる。
しかしこの世界時間は例えば一つの国のなかでもチーズのように無数の穴や濃淡があって、共有されているエリアと共有されていないエリアが生じているような斑なものであり、結びつき共有されているのは基本的に各時代、各地域の上部構造/先進地域の部分である。
それが国や地域を超えて結びつくとその差はより激しくなる。
そのような異なる次元もまた階層化されて、互いに結びつきあい共存し、作用し合っていたことは第二部で見てきたところであり、むしろ上部構造を創出したのはこの下部構造からの押し上げであったというのがブローデルの見方だと思われる。
そして遠距離交易が盛んになるにつれて、この諸地域の上に国民というレイヤーが後に上から被さっていくことを国民市場のところで見ていくことになる。
第三部の世界時間は、そのような世界時間が共有される経済圏である世界=経済とともに、その特徴を確かめていき、第二章からはヴェネツィア、アンヴェルス、ジェノバ、アムステルダム、ロンドンと各時代の世界=経済がどのように発達してきたか?どのような特徴をもっていたのかを巡っていく。
それは「農業経済から脱出した自由で軽々しい都市国家」と「国家形成のために厖大な作業を抱えて農業経済から脱出できず閉鎖的で重々しい領域国家」という異なる国・地域像の比較(例えばイギリスに対してのフランス)という背景を持ちながら進められる。
そして空間の制圧。街道や航路、そして鉄道が通り、隊商宿やオアシス、寄港地が生まれ、広い面のなかに点と線が引かれていく。
結ばれた点と点のあいだの電位差によって経済の流れが動き出し、構造に持続性が与えられていく、金や力が蓄積されていく。そして点と線を流れる経済の流れの摩擦がさまざまな技術によって一つずつ取り除かれていき、構造が強化されていく。
ルネサンスのヴェネチア から 大航海時代のアムステルダムまで
ヴェネツィアからアムステルダムまでの発展は<南>の商業の発展とともにあり、かつ、十字軍・レヴァント貿易とヴェネツィア、ポルトガルの航路開発・ドイツ フッガー家/ヨーロッパの銅とアンヴェルス、スペイン/アメリカ大陸の銀とジェノバといった各時代の政治力や資源産出地との関係にもとづく遠方貿易の商業活動が軸に進められる。
アムステルダムはこれまでの都市国家から近代国家・国民経済の時代の境界に位置し、信用、商品を生産する工業の重要性が増していく。
それがもたらす人工的な環境は、干拓された土地・多くの外国人出身者(1/3とも言われる)とオランダがもつそもそもの自然特性だったのかもしれない。
工業の重要性が増すほど分業は促進され、オランダ内の都市間の役割分担が進む。通商を重要視するアムステルダムは商品を保管する倉庫が重要な位置を占めた。
そしてその流通を滞らせないための信用貸しによる決済がより発達した。そしてヴェネツィアがフィレンツェやイスラムなどの他人の技術を束ねて発展を遂げたように、アムステルダムもまたスペインやポルトガルなどの他人が開拓したアジア貿易を強奪していくことで発展していった。
この時代の東南アジアの香辛料は東西貿易の(特にインドへの)重要な鍵であった。しかしこの強硬姿勢はオランダ/アムステルダムのアメリカ大陸での失敗へとつながっていった。
国民経済の登場とロンドン
そしてロンドンとともに、アムステルダムが準備した経済技術<人工的な富>を駆使した本格的な近代経済が幕開けしていく。国民経済の登場は、それまでの広範囲に広がり閉鎖的で重々しかった辺境部や領域国家が都市に開かれ、より緊密に連動していく過程を描く。
文化と技術の違いについて
経済の本ではなく、歴史の本であるがゆえに、経済活動がそのまわりの様々な社会生活に支えられていることを第一部から注意深く描きだしている。特に国民経済の形成の過程は、先行した政治・文化の領域の存在の重要性を指摘している。消費とは文化的な行為であることを改めて感じる。
また文化が持っている、経済、政治、社会にはない特徴として、その持続性を挙げる点も面白い。流行のような移ろいやすいものもあるが(それに敏感に反応する経済は当然移ろいやすい)、風習や慣習などはやすやすとは変化していかないということである。
文化とは、精神でもあるし、ことばのあらゆる意味での生活様式でもあり、文学・芸術・イデオロギー・自覚の持ちようなどでもある。文化は、物質的・精神的な無数の財貨でできている。[…]技術はおそらく文明の身体にすぎず、その魂ではない。
p.73-77
こうした考え方は現代の文化心理学の考え方とも通じるところがあり興味深い。
風習や慣習の主体がいなくなり、辺境で文化が失われていっている現代社会とは何なのか?改めて考えてみたいと感じた。
世界時間Ⅱ
独占・競争・自給の三つの階層がつくる幾筋もの流れ
第三部:世界時間の二冊目。ヨーロッパの世界=経済を見てきた一冊目から変わって、アメリカ、アフリカ、ロシア、トルコ、極東(インド)と、ヨーロッパ以外の世界=経済を見てゆき、最後に産業革命の時代を確認していく。
ヨーロッパの発展を支えたアメリカ
ヨーロッパの縁辺として扱われたアメリカ大陸。ヨーロッパの近代性の大きな一助となる。スコットランドやアイルランドからの囚人、イギリス各地の植民地の流刑囚などの白人奴隷やインディオたちからはじまり、黒人奴隷とともに、古代、中世、ルネサンス、宗教改革などが混ざりあいながら、砂糖と資本主義と奴隷制度が肩を並べて行進する。
三角貿易を支えたアフリカ、搾取されたアフリカ
アフリカはヨーロッパの帝国主義とイスラム圏の帝国主義の両方から搾取された。その影響が生み出した構造は単純な一方的な搾取だけではなく、アフリカ人自身による奴隷貿易への協力、時には自分自身の両親や子ども、兄弟姉妹を奴隷として売ることもあった。
それは現代においても影響を受け続けている。同時に見なくてはならないのは、それだけの大規模な交易を可能とする商品の輸送システムがアフリカに備わっていたということである。
大きな村だったロシア
シベリアのやわらかい金と称された毛皮によって財をなし、その影響によって産業化は停滞し、都市機能は発達せずに長い間留まり、ロシアとは膨大な村だ、と言われた。
産業化/鉱山開発の足取りは18世紀初頭にアメリカの毛皮産業が競争相手として登場した後からであった。そしてその鉱山のかたちは自国の囚人をはじめとした強制労働者たちの力によって為された。
古くからの商業圏域トルコ
イスラム世界の経済帝国の中心として、黒海と紅海そして砂漠の隊商たちに支えられたトルコは、その古くからの商人集団によって自分たちの商業圏域をヨーロッパから守り続けてきていた。逆にその古い商業慣習の優秀さゆえに、ヨーロッパで発達した商業技術(信用貸しなど)は発達が遅れた。
恵まれた自然環境とその自然がもたらした交易によって古くから貨幣経済が根づき(今日においてもなお貴金属の消費地として君臨し続ける)、
世界の職人だったインド
全世界からの需要に、何百万という職人が古き良き手仕事による日々の生産に追われていた状態から、アメリカ大陸の銀によって扉を開かれ19世紀には産業化されたイギリスとの競争によって非産業化され、原料供給者の地位に引き戻されたインド
産業化の時代-経済成長を可能にするもの と 経済成長の仕方
産業革命を最初に経験したイギリスを含め、15世紀から18世紀の長い近代化/産業化の過程は働く者(人力)を犠牲にして生産性を高める国民所得の時代であり、積み上がっては崩れ、繰り返される運動によって様々なバリエーションの構造/資本主義を生み出した。
イギリス以前の国々の産業化を阻んだのが農業であれば、イギリスの産業化を助けたのも農業であった。国内、国外含めた高い農業生産性が増加する貧しい国民/労働者を基盤から支えた。
その爆発した人口増加がもともと少なかった森林を木炭消費で食い潰して、より安価な石炭の時代の到来をもたらした。世界の職人だったインドの木綿から世界の工場として国際競争に勝ち、産業化の時代がはっきりと幕を上げる。
1750年に今日の先進諸国のGNPの合計はその他の国々の合計の1/4程度だった。それが産業革命後の貧富の差が広がり、1880年から1900年頃に追い越し、1976年にはおよそ3倍となっている。
「経済成長を可能にするもの」は国家や社会や文化といった様々な要因のあいだの構造的関係にもとづいて緩やかに獲得されるものであるのに対して、「経済成長が実際に生ずる仕方」は短期的な状況(経済以外の要因も含め)に左右される。
バリエーション・世界に多様性を生み出すものとは?
どちらも経済成長には重要なものであり、この長い書物でも繰り返し現れるように、長期と短期が重なりあい、均衡のとれた成長と不均衡な成長の両方が現れる。そしてそれが様々なバリエーションを生み出す要因ともなっている。
15-18世紀の歴史を読む意義は、このバリエーションがどのように生まれ、今日にどのように影響を及ぼしているのか?を知ることではないかと思う。成長は全ての領域・空間で同時に起こらず、偏在しており、成長の速度・方向性の違いが世界=経済の構造を新たな方向へと導いていく。
「独占的資本主義(独占価格/大企業)」と「競争的資本主義(競争価格/中小企業)」と「非市場経済の領域(無償の労働/家事・自然環境)」というおおまかな区分だけでも、古いものと新しいものが混在して、相互に働きあって、経済も、社会も、国家も、文化も動いていることがわかる。
家事の領域で、子どもが生まれなければ、資本主義へは労働者は供給されない、逆に両方の資本主義から様々なサービスが供給されることで現代社会の出産と人口(低い出生率と低い児童死亡率)は維持されている。
この古いものと新しいものが混在した世界の、各ポイントで、その相異なる要素を滑らかに噛み合わせるための努力をする必要があるのだと本書を読んで感じる。
