交換のはたらきⅡ

国家・文化・社会が交換の活動の骨格を与える
第二部「交換のはたらき」の二冊目である本書は、前書で展開された生産と資本主義の関係の続きからはじまり、資本主義の中心的領域である商取引、国家を含めた社会構造、と資本主義の関係を見ていく。
季節のリズム(農村)に囚われていたマニュファクチャー
農家の休耕期と結びついた家内工場からマニュファクチャーの時代までは、ファクトリー(工場)の機械ではなく、人の生産力が重要な要素となり、季節のリズムに縛られていた。
これは一冊目で農家の自給自足的な生活が産業化への抵抗要因として働いていたことに対応し、専門化の過程でそこに綻びが生まれ、資本主義的な道/産業化へ進むことになる。
マニュファクチャーとファクトリーの違いなどは、「第二の産業分水嶺/著:マイケル・J. ピオリ、チャールズ・F. セーブル」がより詳しい。
本書で記載されるマニュファクチャーの下請け家内労働の需要変動のクッション材となる仕組み/構造は、そのまま現代の製造業の需要変動と下請け会社の仕組み/構造として国際的規模で大動脈から毛細血管まで様々なスケールで展開されている。
本書はこの毛細血管スケールの動きを追いかけるのに素晴らしい資料を提供してくれると思う。例えば鉄道、自動車が登場する以前の陸運における農民の役割とその輸送量の規模が持つ現代的意味について。
資本主義による商業領域の独占と国家の支援
資本主義的独占の問題は、イギリスやアムステルダムの<特許>会社(カンパニー)の考察を通して行われていく。
独占は、国家、商業世界(資本、銀行、信用、顧客)、遠くにある活用すべき商業ゾーンの3つが重要とされる。特に三番目の商業ゾーンだろう。距離の問題に限らず、多くの高度な商業テクニックを必要とし、高い利潤を持つ商業ゾーンは大資本の専用の猟場となり、独占の色合いを濃くしてゆく。
それだけの独占的資本の規制をつつも後押しをするのが国家である。ヴェネチア政府の大型船舶の建造と貸し出し、スペインの西インド会社のように。
階層化し共存/依存する新旧の体制
第二部最後の第五章では、再び構造のはなしに戻る。そしてブローデルの考える、社会の複数性/複数の社会(階層制、システム、秩序、生産様式、文化、言語、生き方)が同時代に共存し、良くも悪くも互いに依存し合う世界像が記述される。
まず商業世界の発展を見ていく。ヨーロッパでは大商人となると、二代、三代で商業を捨てて名誉ある地位へと移っていくのに対してユダヤ人、インドにおけるカースト、そして日本における身分制度はそういった道を閉ざし、長命な商家を生み出すような構造を同じ時代に持っていた。ただしヨーロッパでは資本家は姿を変えながらも代々と受け継いでいく構造を作り出していた。
ブルジョワジーが新たな階級としてのし上がっていった当時、その経済力の格差(能力によるヒエラルキー)の弊害は、身分社会の格差(出自によるヒエラルキー)の弊害の影に隠れて、貴族の寄生的無能性に対して活動的社会的有用性として対置され、免罪符を得る。
そして当時の下層プロレタリア/浮浪者たちはまだ一つのまとまりのある階級ではなく、一つの群れであった。それゆえに集団としての一貫性は欠如し、その自然発生的な暴力は一過性のものとして、まだ恐れるに足りぬものとされたいた。
次に国家を軸に、その構造の歴史が展開される。
国家のはじまりと官僚制
国家の任務とは、一、「合法的暴力」で服従させること。二、経済生活を監督し、財物の物流を組織し、所得を吸い上げ、行政あるいは戦争を準備すること。三、精神生活・文化に参加すること とされる。
二、の財政は、長らく不安定で国家のみに属さず、そのまわりの貴族たち/仲介者たちの私利私欲の影響を受けるかたちであった。その基盤は官僚制という独自の幹部を創出することによって形つくられていく。
官僚制とは封建制時代に王制から封土として土地=権力が与えられていたものが、国家から官職=権力が与えられるものである。国家はそのようにして力の階層制を築き上げていく。
国家の任務の三番目、社会・文化と資本主義の関係をヨーロッパ以外の文化も交えながら見ていく。
イスラム世界のヨーロッパ商業世界、ルネサンスへの影響。そして制限されていたキリスト教世界では商業世界への扉をスコラ哲学がルネサンスへ向けて準備していく。宗教が、教会は社会の接着剤として、重要な役割を果たしている。
ブローデルの解釈では、日本はヨーロッパと同じように二重の上流社会をもったと考えている。王制や貴族や国家といった社会と商業の社会。
それに対して、中国、インド、イスラム世界は単一の最上層が支配していた。
ヨーロッパが点在するように多様な国家が併存していたのに対して、日本では地形が多様な国家が併存することを許した。そして中国という入口からアクセス可能な国際的な遠距離貿易の存在があった。そして家系の長い持続を可能とする構造があり、蓄積が促され、資本主義への道が開かれていった。
ヴェネチア、アムステルダム、ロンドン、そしてパリの奢侈の比較も面白い。公共施設や個人的生活内に閉じたヴェネチア、アムステルダム、快適さという贅沢を好んだ十八世紀のブルジョワジーのロンドン。それに対して十八世紀のパリは奢侈の誇示の拡張というまた別の方向の発展がある。
この違いは各地域の現代のデザインの基本姿勢にも現れている。

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