愛媛県松山市の高浜の対岸に浮かぶ興居島、伊予小富士の名で知られる独立峰をもつ平面的に立体的にもユニークなかたちの島です。
松山の中心市街地から高浜駅まで20-40分(約10km、高低差約20m)と、電車、自転車、車と選択肢も多様で、高浜からは船でたった10-15分で到達できる離島です。
この島に宿泊施設を検討したいというご依頼を請け、興居島らしい時間とはなにか?興居島らしさをかたちづくっているものはなにか?という視点から島のことを調査しました。
今回はそのなかから島の風とみかん畑を守る防風垣・防風林の関係を中心にまとめてみます。
目の前に存在している当り前な風景が、実はユニークな歴史の積み重ねによって生まれている、そんなことを気づかせてくれる建築リサーチでした。

気候は暖かい海洋に浮かび温暖で、宇和海同様に漁業や海運で栄え、現在は柑橘栽培が盛んである。
こうした地質・地形と気候の交わりが独特のランドスケープを生んでいる。
なだらかな海岸地形に広がるミカン畑
興居島と言えば何といっても、伊予小富士を中心としたなだらかな海岸地形と、そこに植えられた柑橘の木々と海と砂浜が織りなす風景だと思います。
日本の柑橘の産地はリアス式海岸などの急傾斜の谷の斜面に展開されることが多いです。
興居島や忽那諸島はそれらと比較して非常に緩やかでなだらかな優美な曲線の斜面に展開され、島という360°海に囲われた立地が多様な景色をつくりだします。
かといってイタリアの海崖のような崖地で展開される文化的景観とも、世界のオレンジジュースの原料になるブラジルのオレンジ畑や中国のような平地で展開される大規模農園のそれとも違うユニークな風景をもっています。
冬が寒く、海岸に展開することの多い日本のみかん畑を特徴づけるのが防風垣です。
冬の寒さが ミカンの甘いを引き出してくれます。その一方で強風で果実が冷えたり、傷ついたり、潮風にやられてします場合もあります。
こうした危険から ミカンを守るために植えられ防風垣の緑のカーテンです。島内にはさまざまな樹種、形状の防風垣があり、ユニークな風景を生んでいます。
ごごしまのミカン畑かんきつ畑を巡るには自転車がおススメです。レンタサイクルでは電動アシスト自転車もあるので体力に自信のない人でも安心です。一周しても約21㎞、高低差100m程度なので、自転車なら気軽に回れる距離です。
北風から港、集落を守る島のランドスケープ
まず興居島の風環境がどのようになっているのかを見ていきます。
江戸時代までの港は三津にありましたが、船舶の大型化に伴い、高浜へと移されました。興居島をはじめ忽那諸島は実は瀬戸内海の瀬戸のなかでも深い水深をもった地域です。
この深い水深と冬の北西からの風から高浜を守る位置に興居島があったことは港としての機能を検討する上で非常に重要な条件でした。北風で荒れた海面が島があることで波から港を守り、穏やかな状況を保ちやすくしてくれます。

そして高浜の港を守るということは興居島内の集落を冬の北風から守る役割も果たしているということです。
20-30階のビルの高さの地形が集落を守る
なだらかな地形と言っても、北側の由良地区や門田地区の尾根筋で標高70-100m程度あり、これはビルで言うと20階建てから30階建てくらいの高さになります。
20階から30階建ての高さの壁があると考えると十分に守ってくれそうな気がします。
建物の垂直方向の高さの10倍程度は水平方向に対して風へ影響を与えると言われますので、70mで700mで大体、山から海岸線までの距離がカバーされて集落が守られていることがわかります。
島の地形が水や田畑を育む
この冬の北風の防御壁は同時に古くは集落の喉を潤す地下水の涵養林ともなっていました。興居島に上水が対岸から通ったのは1988年です。
戦前はお米も島で作っていたので今よりも平地は僅かでした。島のため池はその頃の名残りです。外周の道路が通ったのも戦後で、海岸線や集落の目抜き通りは奥に入った通りでした。
その僅かな平地、そのなかでも大切な飲料水が得られる山があり、風や波・高潮から守られる、そうした立地が選ばれていきました。
瀬戸からの風を受ける泊-船越集落
海岸線の民家も潮風や砂浜の砂を防ぐのに生垣とミカン畑の防風垣が一体となっている光景は興居島らしい風景の一つです。
こちらは船越集落から泊集落へと向かう途中です。このあたりは南側の四十島瀬戸からの風をダイレクトに受ける場所で興居島小学校の防風林を見ると南側に傾いていて、その影響がよくわかります。



上部のミカン畑でも泊-船越では防風垣が設置されて南側の四十島瀬戸からの風への対策がなされています。
風と太陽がつくりだす興居島の風景
海からの風を直接受けやすい島という環境にとって、風との付き合い方に特徴的なかたちが現れることが多いです。
海岸際のミカン畑は海からの潮風対策にしっかりとした防風林が設けられています。
特に北風を受ける場所は念入りに保護をしている場所が多いです。伊予小富士の南斜面の裾野が海へ伸びていく様子と比較すると同じ島内のミカン畑とは思えません。
こうした立地環境による対応の違いが狭いエリアに密集して存在しているのも興居島の魅力です。
多様なミカン畑の防風垣がつくる風景

太陽と風の影響のバランスをみる防風垣
ミカンの天敵のひとつに風害があります。冬の風はミカンから熱を奪う低温障害の危険があり、夏の台風や冬の強風による潮風は塩害を、強風は果実を枝葉が傷つけたりします。
なので島内では風をダイレクトに受けるところには防風垣や防風ネットが張られているのを見ることができます。
しかし防風垣が高過ぎると日光を遮ってしまうので、方位や立地条件によって必要な高さに刈り込まれています。太陽光はミカン・かんきつの糖度に大きな影響を与える要素のひとつです。
海岸際や太陽光と関係が薄く冬の風と関係が強い北側は高い防風垣が多く、南は柑橘の木と同じ高さもしくは設けずに太陽光が優先されます。
最近では温暖化の影響で果実の日焼けも問題になってきているので太陽光のコントロールはより一層ミカン・かんきつ栽培におけるテーマとなっていきそうです。

南からの太陽を受け、山や防風垣が北風から守る






冬に果実を実らせる常緑の樹木は石油時代以前はすごく貴重だった
ミカン・かんきつの果樹としての大きな特徴は常緑樹であることです。
桃やリンゴ、ブドウなど秋に実を成熟させて葉を落とす落葉樹の果樹が多いです。冬でも葉を茂らせている常緑樹であるがゆえに、自然状態で冬に果実を成熟させることができます。
世界中の宗教や文化で重要視された かんきつ・ミカン
日本の鏡餅の橙のように冬に黄金色の実をつけます。中国とインドの国境地帯原産のかんきつはそこから東西に広がり文化的に、ユダヤ教やイスラム教、仏教やヒンドゥー教と宗教的に重要な役割を果たしてきました。

永遠の生命や豊穣の象徴とされ、地上の楽園を具現化する要素

年を越えて落ちない果実と代々続く子孫繁栄をかけて

禁断の果実がかんきつで描かれた絵画
今でこそ石油と商業的ブランディングによってクリスマスは赤いイチゴですが、ルネサンス期に西欧にかんきつがもたらされて以降はサンタクロースのモデルとなった聖人とかんきつが結びつき、以前はイチゴではなくかんきつがその役割を担っていた時代や地域がありました。
さらに禁断の果実もリンゴではなくかんきつとする説もありました。リンゴが禁断の果実の座を確立するのはヨーロッパの中心がオランダやイギリスのようなヨーロッパの北側に移ってからです。
冬の寒さが ミカン・かんきつを美味しくする
多くのミカン・かんきつは暖かい夏から秋にかけて実を大きくして、寒くなりはじめる秋から冬にかけて成熟のスイッチを入れます。
この一年のなかのスケジュールは品種によって異なります。
早生と呼ばれる冬になるまでに成熟を終える品種群、温州ミカンのようにあたる冬を迎えて成熟する中生、晩生の品種、冬から春にかけて時間をかけて成熟する中晩柑類と、大きく三つのグループに日本では分かれています。

常緑樹の果実であるという かんきつ・ミカンの宿命
成熟して収穫するまでに冬の期間が長ければ長いほど、熟成された濃厚な果実が得られると同時に、寒害や凍害のリスクが高くなります。このとき常緑樹であるということが裏目に出ます。
葉の活動を維持しなくてはいけないからです。
落葉樹は葉を落とすことで光合成が出来なくなりますが、代わりに生存に必要な代謝エネルギーを最小限に抑え、冬眠して冬を越します。
それに対して常緑樹は日照の短い冬のあいだも生存のための代謝エネルギーをしっかりと確保し、かつ、かんきつは果実の成熟のためにエネルギーを回さなければいけません。
この冬の代謝エネルギーとかんきつの酸っぱさが関係します。
かんきつ(citrus fruits)から見つかったクエン酸(citric acid)と生物の代謝(metabolism)
ミカン・かんきつが緑色のころはクエン酸が豊富で酸味が強い状態になっています。これによって抗菌作用と動物による捕食から自らを守っています。
かんきつが成熟する過程で甘くなるのは、光合成で得られた糖を果実に蓄えるのと同時に、夏に果実に蓄えたクエン酸を糖に変えて、冬の寒さを生き抜く代謝エネルギーとして消費するためです。
こうして酸度が下がり、糖度が増すことで、独特の甘みが生まれるのです。


人へも進化の中で受け継がれていったクエン酸回路
レモン汁から見つかったからかんきつ(citrus fruits)の酸(acid)でクエン酸(citric acid)。
このクエン酸を夏に果実に蓄えたり、冬にクエン酸からエネルギーを生み出したりするプロセスにはクエン酸回路(Citric acid cycle)と呼ばれる仕組みが関係しています。
この仕組みはかんきつに限らずに呼吸をする生物のほとんどが持っている代謝システムの基礎をなしているもので、人の代謝もかんきつと同じようにクエン酸回路が働いています。
かんきつではクエン酸でしたが、人では例えば筋肉や脂肪のかたちでエネルギーを蓄積したり、食物の糖やアミノ酸、体内の筋肉や脂肪を分解してエネルギーを生み出したりするのに、クエン酸回路が関係しています。
クエン酸回路の存在は、かんきつも、人も、共通の祖先から進化してきていることを示しています。
冬の北風対策がミカン・かんきつの熟成を助ける
冬の成熟のプロセスのあいだ常緑の枝葉は冷たい北風にさらされると、どんどん熱を奪われます。無風状態のときは人体もそうですが薄い空気の層が樹木/身体の表面を覆っています。
この空気層が断熱層の役割を果たして、外気と表面との熱交換を妨げます(建物の断熱性能を計算するときにも、こうした空気層の役割を考慮に入れます)。

しかし風を受けるとこの空気層が拡散されて薄くなったり、なくなったりして、外気と表面がダイレクトに熱交換をするようになります。こうなると枝葉の生存に必要な代謝エネルギーがどんどん増えていきます。
防風垣や防風ネット、ビニールハウス、手間暇をかける一つ一つのかんきつへの袋がけはこうした風に熱を奪われ、果実が枝葉の代謝にエネルギーを奪われることを和らげたり、なくしたりしてくれます。
このほかにも風で枝葉と果実がぶつかって傷ついたり、潮風が掛かったりすることを防ぐ役割もあります。
長い熟成期間のあいだ果実を守るビニールハウス
中晩柑類のとろけるような食感と濃厚な甘みは長い熟成期間が生みます。そのため栽培期間が長くなる分、より冬の低温対策が重要になります。
そのため興居島では田んぼだった緩い棚田跡地が、こうした中晩柑類のハウスとして利用されています。
こうした手間が少ないかんきつのレモンなどが最近は興居島でも増えているそうです。
実は内陸原産の果樹のミカン・かんきつ、海水や潮風には弱い
日本のミカン・かんきつ産地のイメージが海沿いの印象が強いので、かんきつは耐塩性が高いようなイメージを持ちますが、実は耐塩性が低い樹木です。
もともとかんきつは中国とインドの国境地域の内陸部が原産で、耐塩性を身につける必要がなかったのです。なので興居島の海岸沿いのかんきつ畑の多くは海水が掛からないようにしっかりと防風垣で保護されています。
興居島を回っていると、防風垣・防風林に使われている植物が一つではなく島内だけでもかなり様々な植物が使われていて、集落・ミカン畑ごとに個性があり見ていて飽きません。
海風を受けるので耐塩性のあるものが選ばれます。葉がぶ厚かったり、テカリがあるものが多いです。






雑種を生みやすいかんきつの特性と多様な品種を育てる日本のかんきつ産地
ミカン・かんきつは品種のバリエーションが非常に豊富です。かんきつのグループは植物のなかでも仲間同士の遺伝的構造が似通っているため、異なる種のあいだでの交配が自然におこりやすい特徴をもっており、雑種が生まれやすいです。
そしてオスとメスが交配する有性生殖だけでなく、メスだけで子孫を残せる無性生殖もするので、新たに生まれた特性が無性生殖で正確にコピーされて雑種が残りやすいことがバリエーションの豊富さを支えています。
昔はかんきつと言えば温州ミカン一択という感じでしたが、1970年代に温州ミカンの需要の飽和/価格の暴落を受けて、日本のかんきつ栽培は品種の高品質化による多様化の時代が訪れます。


興居島のミカン・かんきつ畑も一見すると全部同じ品種に見えますが、レモンが植えたあったり、温州ミカンがあったり、ポンカンがあったり、早生の品種があったりと、実は色々な品種のかんきつが植えられていて、冬の初めから春までのあいだに随時、収穫されて、出荷されていきます。
こうした品種の多様性はアメリカやブラジルなどの大規模農地の単一品種のモノカルチャー農園とは大きく異なります。
世界のかんきつ産地を襲う特効薬不在の感染症
現在、世界のかんきつ産業はモノカルチャー農園が持続可能か?の瀬戸際に立たされているようです。原因は体長3㎜という小さな虫が媒介する感染症の蔓延です。
アジアでは100年以上前から知られていますが感染症の原因となる細菌の培養が難しいため薬の開発ができていません。
新型コロナ(COVID-19)が人口密度の高い都市を麻痺させたように、単一品種が高密度に植えられた大規模農園に一度感染者が出たら、早期に伐採して除去しなければ広まってしまいます。

かんきつ類は他の常緑樹と同じように長寿で100年以上の古樹でも果実をつけ収穫することが可能です。ですので一本、一本の果樹は大事にされ、持続的に実りを得られるように環境が整えられます。
しかしこの感染症が蔓延している地域ではひどいと10年程度周期で感染が流行し、植えては伐採するという状態に陥ってしまいます。
かんきつ類は常緑樹なので樹木本体の生存基盤の持続的確立が優先され、落葉樹の果樹よりも実が付くまでの期間が長く、5-8年目が若木の時期で実をつけ始める頃で、本格的に実を付ける成木となるのが10年目あたりと言われています。
10年周期の感染の流行がいかに悲惨な状況か理解いただけると思います。
かんきつの感染症対策も人や動物と基本は同じ
感染症への対応は人も動物もかんきつも同じです。空港や港での瀬戸際での検査と隔離、除去がまず基本です。
アメリカやブラジルでの流行は感染した苗木を輸入して植えたところからはじまっています。
新大陸に天然痘がヨーロッパから持ち込まれたときのように、物理的にも遺伝的にも対策がなされていないところに感染が広まっていきました。

感染の拡大を予防する感染経路の遮断です。
新型コロナでアクリル板を用意したり、マスクをしたり、テレワークで建物のなかに籠ったりしたように、防風垣で区画したり(限定的な遮断)、防風ネットで囲ったり(より効果的な遮断)、ビニールハウスで区画したり(完全な遮断)することが拡大を抑える効果があるのではないかと期待されます。
多様性が地域の抵抗力を高める
感染への抵抗力も品種によって異なることがわかっています。多様な品種を植えるということは、園地が全滅するリスクを軽減することにつながります。
感染に抵抗できる品種、感染症を治療できる薬の開発がなされていない現在、根本的な解決は難しいので、かんきつ産業はこの媒介昆虫・細菌との付き合い方を考え続けなくてはいけません。
すでに媒介昆虫が生息する沖縄や奄美のかんきつ産地(シークワーサーなど)では既に取組みがはじまっています。
日本では気候によるバリアのおかげで屋久島・鹿児島のあたりまでで媒介昆虫の発見に留まり、かんきつ産地での流行は確認されていませんが、今後の温暖化の影響で北上してくる可能性があり、注視されています。

温暖化は適地の北上と現在の適地の高温化や日焼け症と他にもかんきつ産地へ影響を与えており、品種の入れ替えや日よけネットなどの対策が挙がっています。
温暖化はこれからの興居島の風景を変えていくものと思われます。
海水浴だけではない風と太陽がつくりだす興居島の風景
興居島というと夏、海水浴、というイメージで他の季節に訪れ、産直やみかんのダンボールで冬に名前を見るという感じで、なかなか夏以外に訪れることが少ないのではないでしょうか?

夏に緑色をしていた ミカン・かんきつは中秋から冬に黄金色に色づき、甘酸っぱい早生から濃厚な中晩柑類まで、季節の巡りのなかで成熟していき、いろいろな景色、味が楽しむことができます。
春が来て、新緑の季節になれば白い花を付けて、再び次の冬に向けて緑の果実を成長させていきます。
今回はこのかんきつと人との関りを、かんきつ畑と風の関係を中心に巡ってきました。色んな樹種や種類の防風垣・防風対策があり、その機能も風よけ、日よけ、感染対策といろんな機能があって、想像以上に建築的な部分もあり、勉強になりました。
豊富なビタミンやクエン酸によって古くは薬として扱われ、温暖化や生物進化といった現代的な話題にも及ぶ、ネタの広さも魅力的でした。
鏡餅の橙、オレンジの中庭、禁断の果実に、クリスマス、世界各地で永遠性や豊穣のシンボルとなった かんきつ
冬に黄金色の実をつける様子をぜひ、訪ねてみてください。


