砂の上の職住一体の古い町並みの再解釈
少子高齢化が先行して進む人口構造
松山市のなかで島嶼部や山間部を除いたなかで人口減少・少子高齢化が先行して進んだのは、この西側の郊外エリアでした(松山市郊外エリア 高齢化進展エリアの人口比率)。
同じように空襲を逃れて古い町割りが残り、主要な都市間交通から外れた位置にある道後地区と比べると城西エリアの高齢化の現状が良くわかります。中心部との距離や大学との近さ、観光地としての知名度といった要素の違いが大きな影響を及ぼしていますが、古い町割りという要素のみが今の状況を作り出しているわけではないことを知る一つのデータです。
ただ個人的には道後を目指すのは三津の特性を考えると違う気がしています。70代が人口のピークになっています、この十年、二十年が町の大きな変化の時期と言えるでしょう。
職住一体の暮らしの再解釈
昔は商店街にはアーケードがあり、映画館が複数ありましたが、現在では多くがシャッターを下ろして、職住一体の多くの建物にはお年寄りの住まいが残るかたちとなり、少しずつ誰に継承されるわけでもなく空き地が増えていっています。
そうしたなか現役を続けている商店主の方、地元のUターンの方々、移住者の方、県内・市内の三津が好きな人たちと立場は違えど、三津浜を想う方々が再び三津浜の賑わいを目指してまちに入り込んで活動をはじめています。
しかし課題はまだ多く残されています。少子高齢化・人口流出はまだ歯止めがかかっておらず、商店街が賑やかだった頃に対して人の流れも変わっています。休日や花火大会などのイベント時こそ多くの人で賑わいますが、平日は人は疎らです。そのような状況では対面販売の店舗としては経営が苦しいため、三津浜以外からの集客が図れるような商品開発や企画、店舗としての営業日を抑えてたり(週1や週3など特定の曜日だけ営業)、対面販売としての店舗だけでなく工場を兼ねてネット販売との複合経営に軸足をもっていくことで経営を安定化させるなど、工夫をされているようです。
ワークライフバランスと自営型のはたらき方・くらし方

そうした三津に新たに増えつつある移住者の方々の特徴を愛媛大学の山口信夫氏の衰退商業地における新規開業事例に関する研究では「ワークライフ事業者」と命名されています。経済性だけを追求するのではなく、職住一体・近接の暮らしのなかで自分らしい生き方を選択する、そういった新しい選択肢が少しずつ増えています。この傾向は建築・まちづくりの面から見て興味深い点があります。
職住一体の店舗は顧客との接客・コミュニケーションの場であると同時に、地域の社交場のような機能を持っていました。また商品に対しての専門的知識や故障する電気機器のメンテナンスを通して、顧客間・地域内での継続的な関係が構築されやすくもありました。
高度成長期以降、核家族化・セルフサービス化(自ら陳列棚の商品を選んでレジへ持って行くかたち)が進展し、商店主がもっていた地域の世話役としての力・社交場としての機能が弱まるなかで、職住一体の家族経営の零細企業像が古い家族像・ライフスタイルとして世間から見なされて、スーパーとの競争の激化や子供の成長(子供部屋の必要)も相まって職住分離(職住近接化など)やアルバイトを雇うなど経営の脱家族化が進みました。
そうした視点から見ると職住一体を好む姿勢は一度見捨てられた古い職住一体のスタイルがもっていた機能をSNSなどを使って、地域商圏という枠組みから趣味趣向という新しい商圏の方向性へアップデートした姿と捉えることができるように思います。家族像も古い家族経営のかたちから、個の存在を尊重しつつ、もう少し広めの人間関係のなかで家族外を緩やかに巻き込んだかたちにアップデートしているように思います。
三津の町がそうした人たちに選ばれる要因として山口氏は
①家賃・不動産価格の低下、
②セルフビルド等による開業資金の抑制、
③高関与商品による広域的集客を上げています。

地域が衰退していっている=不動産価格が低下する、という単純な図式ではありません。これは地方の各商店街をはじめ多くの場所で見られる現象で、本当に空き家になるまで(しっかりと継承されずに放棄されるまで)不動産所有者の高値の時代の経験が引きづられて価格が低下しないケースが普通です。三津でそれが解消するケースが見られるのは所有者と購入希望者のあいだに入って仲介をし、価格の適正化をかって出てくれる地域の顔役の方がいるからです(山口氏の言葉で「商店街組織の前リーダーによる一歩踏み込んだエリアマネジメント行動」)。衰退による地域の家賃・不動産価格の低下と低価格な自由な場へのクリエイティブな人たちの流入という相関は三津に限らず古くから様々な街で見られるかたちです。こうした活発な活動は「三津浜地区チャレンジショップ事業」など継続展開されています。
商品に手を自ら加えることのできるクリエイティブな人種だからこそ、柔軟な対応がしやすく、衰退した逆境の環境(地域の衰退)に適応し、逆にそれ(不動産価格の低下)を栄養として伸びることが可能となります。
三津を足掛かりに孵化し、中心部に出店するという動きも現れてきていると聞くので、そうしたインキュベーション機能も今後、三津が担っていく可能性も高そうだと感じます。行政がそうした中心と周辺とを連動させる動きに補助をする仕組みがあると、中心・周辺の双方のメリットを活かしながら、全体として魅力の向上につながりそうです。
職住一体型の建築の更新の難しさ

職住一体のかたちはワークライフ/生きがいを活性化させる動因であると同時に、古い職住一体型のつくりも町の新陳代謝を抑制している要因の一つでもあります。高齢化と町の衰退で職としての店舗部分を閉めていても、すぐ横に一体となっている住の部分は維持されており、住みやすい地元への愛着を持って住み続けています、そのため簡単に店が閉まっているから次が入れば良いと考えにくい状況にあります。これまで後継者がいることで引退した高齢者は奥に隠居して、表は息子世代が営むという構図が成立していたため、こうした問題は地域全体で生じることはありませんでした.
しかし高度成長期以降でライフスタイルが大きく変わり断絶しているため(当時はサラリーマンよりも収入が良かったケースも多かったので、大学で都市へ出て行き、帰ってこないパターンが良く見られるように思います)、大きく表面化することになりました。こうした建築というハードに生業・生活がロックインすることで、周囲から取り残されてしまうのは全国の商店街に共通した課題です。19世紀イギリスのランカシャーがレンガ造りの工場とかつての栄光にロックインして、20世紀に飛躍する鉄骨造やRC造のスパンの大きな工場なら入れられる新しい大きな設備へ更新が遅れて、衰退した様子と重なります。ランカシャーの工場に比べれば物理的な要素は解決しやすい気がしますが、心理的な要因をどう解決するか?が大きなポイントとなります。
こうした構図は新陳代謝しない農地の構図にも似ており、代々の土地や建物を手放すことへの思いをどのように次の世代が汲み取っていくのか?ソフト面・ハード面、双方の知恵が求められます。町の年齢構成が偏っているため、世代交代のタイミングはいきなりやってきます。農地では土地継承を明確化しセーフティーネットをつくることで行き先がわからなくなり荒廃する農地をなくす取り組みが進められています。商店街をはじめとした世代に偏りがある場所では、そうした取り組みが必要な時期にきているのかもしれません。
商店街とはどのような組織なのか?
所縁型/メンバーシップ型組織の商店街 と 目的型/ジョブ型組織のショッピングモール
私たちは単独よりも外圧(天災・人災)への抵抗力を得るために、集団を組織し、その集団を安定して維持するために余力のある実りを組織します。集団/組織は歴史・経路依存的であり、過去を引きずらなくてはなりません。現在を変える動きは必ず過去から抵抗を受けます。現在組織を支えている仕組み・支えている仕組みは過去の組織を支えていた仕組みから影響を受け、そして現在の仕組みは未来へ影響を及ぼします。未来へ向けてどのように改変していくために過去の仕組み、現在の仕組みを理解する必要があります。
「商店街はなぜ滅びるのか」において日本の流通史を通して日本の商店街を論じた新雅史氏によると、地縁にもとづく主従関係の薄い対等性の高い組織として、都市部郊外のショッピングモールを軸とした地域開発の目的型組織と対比させて、その特徴を述べています。対等性の高い組織という言葉は一見響きが良いですが、逆に言えば大手企業などから見れば組織としての体をなしていない組織とも言えます。それは液体に火を入れると対流がはじまり一つの組織としての構造をもつが、火(外からのエネルギー)が消えるとまたバラバラになる、そうした勢いに波がある緩さなのだと感じます。
こうした構図は日本型雇用システムを批判した濱口桂一朗氏のメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用の大手企業と、そのどちらでもない未分化な中小企業の分類に違いに似ています。ショッピングモールはジョブ型雇用企業のように最初に全体のシステムがあって、そのシステムを構成する要素として店舗の出店を打診・募集して、構成されます。さらに成果主義が徹底されることで、新陳代謝の圧力が各店舗には掛けられ、魅力のない店舗は別の店舗へと入れ替えられてモール全体の魅力を保ちます。
まちづくりの分野ではタウンマネジメント機関のように、まちの発展をショッピングモールのように管理運営してくれる仕組みを導入しようとする動きがあります。そこで求められるのはショッピングモール会社のようなシステム設計とマネジメント能力のようですが、タウンマネージャーに出店・退店の権限や全店の売り上げ管理の権限は普通はありません。商店街組織がそもそも地縁というメンバーシップによって成立しているのだから当然です。整理解雇(リストラクチャリング)が難しいという点では日本の大企業に似ていますが明確な人事権があるわけではないですから(村八分のような仕組みが残る田舎もあるようですが)、緩い未分化な中小企業に近いでしょう。それゆえに地道な交渉が必要であり(地道な交渉のコストと開発の利益が合うのであればディベロッパーが進出しています)、三津の事例のようにそれまでに培ったものを持った地域の顔役が次世代の町に対して協力的・積極的であるか、どうか、というのは非常に大きな影響を及ぼします。
組織的事業よりも独立性を好む商店主たちであり、 暮らしを共にする住民たちである



(グラフ:日本流通史 著:満薗勇 p.237 図17-2 商店街で実施している共同事業(経営関係、1970年)より作成)
商店街がまだ賑やかだった時代の、商店街組織としての活動をみても、多くの商店街は個々の独立性を重視しており、お互いの経営に係わるような共同事業のようなものを行う組織は少なく、アーケード事業や舗装改修のような店舗の前の街路=共有空間へ予算を落す傾向が強かったのです。そうした共有空間も大型商業集積地としての競争に敗れて、店舗に対しての商業的価値を失っていきましたが、独立性を好む性質は時代が変われど、零細個人事業主全般に共通していると思います。
その一方で暮らしを共にする傾向が過去の商店街にも、今の商店街にもあります。今でも開いているお店に日中集まる地域のお年寄りたちや、居酒屋に集まる中年組、休みにイベントを共にする若年層、緩やかなつながりが存在します。理由の一つは母胎が地縁であり、自治体との重なりがあることが、そうした側面を強めていると考えられます。もう一つは社会的立場の類似性が行動を共にするきっかけとなる側面があると思います。
店舗が集まる商業集積地から働き暮らす場が集まる商業集積地へ
私は地方の多くの商店街は戦後からの構造転換によって「路面店舗が集まる商業集積地」としての役目は終えて、「働き暮らす場所が集まる商業集積地=新しい職住一体の型のワークライフバランス志向の集積地」に変化していくように思います。店舗としての商業的立地の価値が低いという当り前の理由です(交通網・交通手段の変化から当初持っていた商業的立地の価値が変化しているケースが多くの割合を占めると思います)。
仮に商店街が店舗としての商業的な集積効果を失い、新しい職住一体の型のワークライフバランス志向の集積地となるのだとしたら、その集積した組織は大学に近いものになるのではないかと思います。新しい職住一体の商店主が目指すものは利潤の多さではなく、各自が持つ楽しみに根ざした活動の持続が目的となっている人が多いと思います。そうした姿はショッピングモールのような経済活動よりも、各自の興味にもとづいた研究によって知的探求を深めることを目的とする研究者の姿、その集まりである大学と似ています。
大学を大学足らしめているものはなんでしょうか?社会学者/吉見 俊哉氏は研究・教育をする「時間」の有無にその基盤を見ています。研究はその多くが長期に渡る活動によって実を結びます。企業活動に対して大学が龍宮城扱いされるのはそうした特徴にもよっているでしょう。
大学という組織はそうした研究活動・教育活動の時間を個々の研究者に確保するため、また研究活動・教育活動をするものを育むため、校舎や講堂、実験棟などの施設群、最近ではオンラインの授業環境、そしてそれらの施設・設備をサポートをする事務・技術スタッフがその基盤を担うことで、知的活動の集積効果を高める工夫がなされています(日本の大学ではそうした時間・集積効果がなくなっていると指摘もあり、経済利益追求型ではない組織のノウハウが独特のものであることを考えさせられます)。そうしたサポートによる研究時間・教育時間から生まれた研究成果・教育成果が集積効果をさらに高めていく循環が生まれます。
職住一体の構造をもつ商店街が、大学の校舎のような集積効果を高めるための資源の一つとなることは、愛媛大学の山口信夫氏の研究から明らかだと思います。自然資源(周辺自然環境の利用も含めて)の活用はインフラの近代化で断絶していますが、こうした古い町は古くからの生業と暮らしが一体化した街で、それを支える構造(地形や建物や自然環境など)が存在していました。
それは商業的な賑わいが失われてもなお、そこに残り続けています。私はそうした構造こそが「働き暮らす場所が集まる商業集積地」のメンバーが守る共的資源=コモンズなのではないかと考えます。三津や内子、卯之町、西条などもそうですが地下水をはじめとした自然資源に恵まれています。自然災害への自然地形上の立地条件(水害・地盤条件)も周辺に比べて優れた場所が選ばれています。職住一体の建築群と歩行者優先の環境はワークライフバランスを優先する人が集積することへ寄与するでしょう。
それらをサポートする体制はまだこれからの課題と言えますが、観光ビジネスだけが目指すべきかたちではないというのが、これまでの考えを経た上での個人的感想です。そしてサポートのなかには「エリアマネジメント行動者」と名づけられていた活動は、どの方向に進む上でも重要な要素となります。
それは論文で書かれていた新しい人が地域に入る物件探しのタイミングでもそうですし、これまでと異なる新しい活動と地域でそれまで続いてきた活動がパラレルに動くなかでの調整という面でも重要になります。そういう意味で、お互いがお互いのこと、それぞれがその環境のことを理解し合うような継続的な時間を、どうやって確保していくのか?ということも大事なことになります。
世代の違いに、同世代のなかでも地元と移住のライフスタイルの違いと代表的な違いがいくつかあり、地元の人たちの方が前後をしっかりと認識できる分、変化に敏感・繊細に感じているように見えます。三津の計画でこども食堂という活動が選択肢にあったことは、そうした地域内の活動の接点への一助となると考えます。



