けものが街にやってくる 消えゆく里山 と 街とつながる奥山
けものが街にやってくる 著:羽澄 俊裕
住宅地にイノシシが、というニュースを最近良く聞くようになったように思う。実際にその頭数を見てみると増加傾向にあるらしい。その原因の一つは里山の奥山化である。
人口減少・少子高齢化によって、中山間地域の過疎化はちょっとした移住で解決できるような問題ではなくなり、戦後の大都市中心の発展や高度成長による産業の改変と消費者のライフスタイル・エネルギー源の変化は中山間地域の里山を放棄し、緑あふれる自然の奥山へと戻していった。
山間部のおじいちゃん、おばあちゃんと話をしていて、子や孫に帰ってきて欲しいとは思っていないという話を良く聞く。普通の田畑よりも手間がかかり、戦後に植えた木々は輸入材に支配された建築住宅業界の仕組みによって放置されて売れずに残っているし、手を掛ける経済的余力もない。見方によっては私たちは海外の原生林を荒らすことで、自分たちの産業化された豊かな生活を維持し、国内の里山を質的に荒廃させた。
奥山化した里山には、当然、奥山の動物たちが私の領土だと頻繁に下りてくる。それまでおじいちゃん・おばあちゃんたちが繰り広げていた死闘によって追い払っていたが、それも限界だ。
そして同じ高齢化の波が狩猟者の方々にも襲っている。1905年に絶滅したと言われる二ホンオオカミ。生態系のキーストン種を失った日本の山林、その食料となっていたシカは1975年ごろから増加していき、木々の食害などの環境被害が相次いでいく。これは過疎化が問題となり始めた時期と一致する。四国では高知・徳島側での頭数の増加が目立つようで、剣山系の山林に入るとシカの群れや食害で皮を剥がれて枯死したスギ・ヒノキを見かける。放牧による環境破壊で崩壊したヨーロッパの文明と似たような状況が自然のなかで起こりつつある。アメリカの国立公園では、同じように絶滅したオオカミのために環境被害が発生したため、改めてオオカミを放つことで生態系を再度バランスさせる試みが行われているという、失われたバランスをどのように取り戻すのか?それは気候の問題だけではない。
伐採跡地の日の光が林床に届くところはシカの餌場となる。林業の間伐とシカの関係は鎖でつながれている。
地方都市では過疎化は中山間地気のみの問題ではなくなってきている。空き家や空き地、そして耕作放棄地の問題も動物たちの拠点の一つになり得る。感染症ではないがこれらのネットワークと侵入の拡大は一定の密度を超えると大きく拡大するだろう。また動物たちは感染症の病原体の運び屋でもある。
こういった動物の問題は分野を横断しているため、解決が非常に難しい。公共の問題だとして、市町村に苦情が行っても、それを解決できる知識や専門性を持たない職員に押しつけても先行きは暗い。
この専門性の難しさは、野生動物と一口にいっても行動特性はさまざまで、その各動物種に専門家がいて、それぞれの意見をもっている。そして動物種によっては専門家は国内に数人ということも珍しくない。そしてその動物種のモニタリングなどの活動は地域のアマチュア研究者やボランティアの方々によって支えられてきている。これは狩猟者の方々の仕組みと似ている。ビジネスの仕組みになっていないがために、後継者が育たない。そもそもビジネスであるべき問題なのか?というところから含めて構造を考えるべきところであるが、技術を伝承するための残された時間は少ない。理系が社会的に重要視されているが、物理や化学に比べて、生物学は未だにマイナーなイメージが拭えない。それは大学の志望者数に現れている。
もちろん、遺伝子解析の技術が進み、物理化学との境界もどんどん曖昧になり、カメラやGPSタグ、RFIDタグ、ドローンなどの導入で省力化は進んでいるだろうが、現地で動物を見つけ生け捕りし、それを取付けなど、圧倒的な手間が掛かること、そして自然環境を実際に見て理解する重要性は変わっていない。
このような奥山に端を発した林業・防災河川・都市計画・生物学などの多分野にまたがった野生動物の問題は、都市部には関係ない問題ではなくなってきている。光ファイバーなどの情報インフラが災害や動物などからの物理攻撃が脅威の一つであるのもその一つだ。けものが街にやってくる とは、農家が畑を守るように、そうした情報インフラの攻防戦も意味する。
都市の生活が食糧という点でもなく、きれいな空気という点でもなく、野生動物という点からもその外側にある農村や中山間地域に護られてきたこと、そしてその存在を軽視して、ここまで来てしまったことを、理解する入口となる一冊。
最後に、著者が福島の原発によって避難地域の獣害対策チームとして参加した時の話、人口が減るということがどういうことか?実感させられる。
人が消えた空間では、街中でさえイノシシが我が物顔で歩いている。そのため避難地域指定が解除されても、なかなか住民が帰還できる空間にはならない。
p.199