Book review 商店街はなぜ滅びるのか 著:新 雅史
現在ではシャッター通りと化して、その賑わっていた頃の様子が想像出来ない商店街も全国には数多くあるように思うが、その商店街という仕組みが日本の小売や流通のあり方、そして国の施策に大きく関わるなかで生まれて衰退したことを、良く示してくれる。
雇用の安定 と 自営業の安定
テーマとして「両翼の安定」として「雇用の安定」と「自営業の安定」を定めて、「雇用の安定」をサラリーマン=労働者/消費者を軸に、「自営業の安定」を商店街・中小企業=自営業者/地域の居住者を軸に、明治からバブル崩壊後までの近現代のなかで、どのように移り変わり、そのパワーバランスを変えてきたのか?を明らかにしてくれる。
満薗氏の副題にある「日本型流通」という言葉もそれを考える上で大事な言葉である。これはバブル期前までの日本の問屋制が発達した「細く長い流通」と欧米のメーカーと小売が直接やり取りする「太く短い流通」を比較したものになるが、前者を自営業者/生産者優位の流通、後者を消費者/商社優位の流通と言うことも出来るかもしれない。スーパーマーケットやコンビニの登場は日本の流通を後者へ近づけていくものになるが、それでも今なお欧米に比べて圧倒的に大型店や大企業ではなく小さな小売店が同居しているのが日本の大きな特徴であり、これは古くから小売や問屋が発達してきた歴史、そして国内における地域ごとの奢侈の多様性、またその原因の一つとなる風土の多様性がそれを許しているように思う。
太い流通 と 細い流通
消費、とにかく安く、という論理で考えると「太く短い流通」に集約されていくのだろうが、それでは多数者の論理(大都市)に少数者(地方・周辺)は従うかたちを余儀なくされる。また販売・流通業者は潤うかもしれないが、生産者は苦しむかもしれないし、販売・流通もコンビニのように労働者が苦しむ上に、会社の利益が築かれるかもしれない。著者の両者が想像するものは、おおよそこの「太い流通」と「細い流通」をどのように重ね合わせるか?ということに行き着くように思える。(普通に考えると、太くて長い流通と細くて短い流通のセットになると思うが、)
商店街の盛衰 と 小売の近代史
商店街は1920年代に、農村から都市部へ出てきた者たちがはじめた小売商への対応からはじまった。当時は小売のスタイルと言えば「行商」であり、店舗をもつものは少なく、そのためフリーライド的な感覚で詐欺的な被害も多かった。当時の小売商は平均寿命で1年程度とかなりの新陳代謝ぶりであった、その小さな専門性の粒を集めて組織化することで生存力を高めたのが商店街だった。そしてそのような専門家の束が、1940年代の第二次大戦期の統制下のもとで、一定の地域内に酒屋・米穀店などが一軒ずつとなるように強制転廃業させられることで、強制的に地域の消費空間が生まれ、生活インフラの場としての「地元商店街」の基礎が生まれる。
商店街の本格的な登場は戦後になってからである(1945年以前の商店街は全体の6%程度)。戦前の統制下に基礎づけられた地域の消費空間が、場合によっては闇市を経て、地元の商店街として結実していく。敗戦からの復興へと進むなか、国は労働者一人当たりの生産性を高め「製造業の国際競争力」を向上させることと国民の「完全雇用」という異なった方向の重要課題を掲げる。それは「高度成長」という特殊な環境下で共に実現されていく。そうした製造業中心の社会が1973年のオイルショックを境として、グローバルな規模で変化をしていく、製造業の就業者は減少し(効率化)、第三次産業の雇用が増加していく。このオイルショックを境の変化で重要な役割を果たしたのは、両翼の片翼であるサラリーマンとその主婦たちという「労働者/消費者」という1975年の集団就職の廃止の後に存在感を増した新しい集団だった。そして彼らに強くアプローチしていったのがスーパーマーケットである。
そしてオイルショック後に日本は「ものづくり大国」として欧米とは異なる製造業/機械工業部門を推進させ世界へライフスタイルを発信していく、その成功の象徴としてトヨタやソニーが生まれていく。この1980年代のものづくり大国が生んだ日米の貿易摩擦が、「日本型流通」の終焉へと大きな影響を与えていく。一つは流通の規制緩和であり、酒・たばこ・米の規制緩和、そして小売店の規制緩和であり、それが2000年の大店法の廃止へとつながっていく。そしてもう一つが内需刺激の財政投融資の活用として行われた社会資本整備である。これによって1980年代に郊外のバイパスやその幹線沿いの土地開発が行われ、1990年代初頭のバブル崩壊を経てその多くが最終的に商業用地となり、地方の大規模ショッピングモールなどになっていく。1965年頃は10%程度だった自動車世帯別保有率も、1980年には60%に迫り、1990年代に80%を超えていくことで、それまで地方の徒歩と自転車が中心だった商圏が自動車中心のものへと変容していき、商店街は構造的な部分からその立場を喪失していく。2000年以降、まちづくり施策が商店街の政策のなかで中心的なものとなっていくが、その効果が上げられていないのは、地方の商店街の現状を見れば明らかだろう。
そして商店街の内から掘り崩したのがコンビニだった。家族経営が基本であった商店街の小売商たちにとって、後継者問題が死活問題となっていた1970年代、折しも法規制によって出店を制限されていたスーパーマーケットの大企業が目を付けたのが、こうした法規制のかからない家族経営の小型小売店(特に酒類やたばこ類を扱う)を活用したフランチャイズチェーン展開だった。これが職住分離と家族経営からの脱却を考えていた小売商の考えと合致し、日本全国に広がる。そしてPOSシステムと多頻度配送によって合理化された流通システムによって、便利を実現した日本型コンビニの前で商店街の小売店が存在意義をさらに失っていった。
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