2100年代は人口は1960-70年代の松山市? 地区人口統計と過去の航空写真から見る

松山市郊外エリア 子育て地域

清水などと同じように50代が多いという似たような傾向を持つのが石井・余土・雄郡のお城の南側のエリア。

子育て世代と50代の多い石井・余土・雄郡

これも宅地開発のタイミングの影響なのだと思われます。清水などの地域と比較して子ども世代の割合が多いのもこの地域の特徴であり、バランスを取りつつ平均に対してやや若さがある地域。この外側の地域と清水などの中心部とのちょうど中間的な特性を持っていることが人口比率からも伺えます。

また戦後の人口増加の大きな割合をこの地域が担っていることは人口数からも伺え、全地区のなかで人口が一番多いのが石井(58,191人/R6/4/1現在)、次が雄郡(31,540人)、久米、味生、桑原と続いて、6番目に余土(23,687人)です。1960年代並みの人口へ減少した時に、こういった宅地化した田んぼだった地域がどのようになっていくべきなのか?土地の所有権もかなり分割されている現状で土地利用・都市計画をどのように考え直していくのか?

農地は耕作放棄を減らし土地資源の流動化を促すために現在所有の土地をどのように世代継承をしていくのかを明確化していくことが地域計画レベルで求められていると聞きますが、空き家に関しても似たような資産・資源の流動化のための施策が都市計画・地域計画レベルで入ってくるのでしょうか。およそこれまで通り小さな点ごとの更新と田畑や大きな屋敷を土地分割して細分化を続けるかたちで、なにも考えられずに時が過ぎていくのだと思いますが、注目はしていきたいとところだと個人的に思います。

松山市子育て地域 雄郡、石井、余土 の 年齢別 の 人口数 比率

若返る垣生エリア

まだ残る田んぼから宅地開発が進んでいる地域が桑原から久米にかけての東温市側のエリアや垣生のエリア。特に環状線の延線で開発が進む垣生エリアでは子どもの割合の増加が顕著に出ています。人口流入の影響で高齢者世代の割合が平均よりも低いのがグラフにはっきりと出ているのが特徴です。

郊外で分かれる災害に強い古いエリア、災害に弱い新しいエリア

宅地開発で同世代の人たちが隣近所で固まるという傾向がこうした結果に影響しています。個人的には久米がもっと高齢者寄りの地域なのだと思っていましたが、案外若いのに驚きました。田んぼの宅地化が進んでいる影響がこうした結果となって表れているのでしょうか。古いお寺や神社、古墳や条理区画の田んぼが多いことからもわかるように古代からの集落エリアですし、久米という名前が由緒ありそうな名前です。重信川からも距離を持った小さな河岸段丘に北側の山からの水や伏流水があり治水面と利水面のどちらも入手しやすかった地形的な特質も伺えます。現在ではこの地域の伏流水の多くは農業用水に利用されているようです。

国土地理院の地形分類で比較するとこうした古い集落地域が扇状地などの治水面で安定した場所に立地していたことがわかります。対照的なのが先ほどの人口が多い石井や余土、そして現在開発が進んでいる垣生のエリアで、もとは氾濫原だった場所が近世の土木技術の向上とともに新田開発で田んぼとなり、それが地質改良技術の改良とともに宅地へと変わっていっているところです。もとは氾濫原ですので、地下には旧河道が存在していたり、水気が多いことが特徴です。

松山市子育て地域 桑原、味生、生石、垣生、久米 の 年齢別 の 人口数 比率
11960年代、1970年代、そして現在の松山 2松山市域の中心部の年齢別人口比率の状況 3松山市郊外エリア 子育て地域 4松山市郊外エリア 高齢化進展エリア

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