2100年代は人口は1960-70年代の松山市? 地区人口統計と過去の航空写真から見る

松山市域の中心部の年齢別人口比率の状況

まず意外な結果のところから番町地域。中心部の中心部なので、もっと平均からかけ離れた数値を出すものだと思っていたら、意外と平均的なところをなぞるような結果となっており、万遍なく各世代が世代継承しながら活動を続けている様子が伺えます。

ほぼ市平均の番町地区

マンションなどもそこそこあると思うので、もっと若い層があるのかと想ったらそうでもなく、単身などのある程度貯蓄のある40代から50代が多いのか、そのあたりのボリュームがやや大きいのが特徴です。子ども世代の分布が飛び飛びなのは人口ボリュームが小さいため、マンションが出来たタイミングの居住者の特性がそのまま反映される結果となったためと思われます。現代の地図と1960年代の地図を並べましたが、城山公園は大きく変わっていますが、戦災復興が概ね1960年代には終えていますのでビルの大小の差はありますが街区レベルでのそこまで大きな変化は感じないところでしょうか。戦後復興に関しては松山市アーバンデザインセンターの資料がわかりやすいので、そちらを参考にするのが良いと思います。

松山市中心部 番町 の 年齢別 の 人口数 比率

若年層の多いお城周辺エリア

お城の周辺の番町地域を除いたエリアは愛媛大学、松山大学のある清水地域が当然ながら20代が多いのを筆頭に全体として20代から30代の若年層が多いです。それでありつつも文教地区のイメージのある東雲を除くと子ども世代の人口ボリュームは小さいので、子育て前の人が多いことが伺えます。50代が多いのも特徴的。宅地開発のタイミングなど、なにか理由があるのか?なにかしらの歴史的要因が絡んでいそうで興味深いです。中心部でありつつも緑地が色んなところに存在し、色んな世代の人たちが時間ごとに集まっている印象を持ちます。清水にしろ、味酒にしろ、石手川がお城の北側を流れていた時代や山からの伏流水に由来すると思われる水にまつわる名前がこの地域の特徴で意外なところに用水路が流れていたりと学生の街らしく歩いたり自転車で走っておもしろい要素があります。今は大学の北側をはじめ細い道に対して住宅が密集していますが、1960年代の地図を見ると昔はこのあたりにも田んぼが残っていたのが見て取れます。

松山市中心部 東雲、素鷲、新玉、味酒、清水、八坂 の 年齢別 の 人口数 比率
11960年代、1970年代、そして現在の松山 2松山市域の中心部の年齢別人口比率の状況 3松山市郊外エリア 子育て地域 4松山市郊外エリア 高齢化進展エリア

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