間取り という言葉から見る、ハウスメーカーと建築家の違い / History of the Japanese housing industry

日本で住宅を建てようとする人は一度は「 間取り 」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。間取りは賃貸で住宅を借りる時にも出てくるし、住宅業界ではお施主様がご自身で間取りを描いていらっしゃることを珍しくはありません。

しかし恥ずかしながら、私は大学を卒業して大学院まで出て、建築事務所に入って、実務を積んで独立して、住宅業界をお手伝いするまで「間取り」というものを意識することはありませんでした。その言葉を使う機会もそもそもなかったと思います。それは自分が大学で真面目に勉強してなかったからかもしれないし、自分の学んだ大学のカリキュラムが悪かったからかもしれません。しかし建築業界に関係ない普通の人たちが「建築」と言われたイメージするものの一つに「間取り」は大きなシェアを占めているのに、なぜこうなのだろう?と不思議に思いました。

間取りのイメージ
91㎝、182㎝の畳間基準に、91㎝グリッドの方眼に部屋を配置していく。
図面のイメージ
柱割は必要な空間の広さと構造躯体とのバランスを配慮し、決定される。白紙の状態から一から設計。

「 間取り 」と「 平面図 」

建築家の人たちが建築を考える際に「間取り」に当たるものは「図面」、「平面図」、「プラン」、「ブロックプラン」などと別の言葉を使うことが多いように思います。なぜこのような違いが生まれるのか?この違いの裏側には、「間取り」が日本の伝統的な規格システムに由来しているのに対して、「面図」や「プラン」などは近代的な建築システムに由来しているという違いがあると思います。

「間取り」は日本の伝統的な規格システムである「尺貫法」に基づいて描かれています。「1畳」という単位を日本人なら聞いたことがあるのではないでしょうか。これは畳1枚の広さを基準として、その部屋が畳が何枚分敷き詰めることが出来るか?を示す面積の単位です。日本の「平面図」では通常は「畳」という単位は使わないと思います、使うのはm(メートル)規格の「m2」でしょう。

この「畳」は「尺」という単位から導かれます。「尺」は「親指の先から人差し指の先までの長さの2倍」これは明治に0.3030303 mとして規定されました。それまでは色んな尺があり、現在でも京間や江戸間という同じ1畳でも大きさの違う単位があることに名残りを見ることが出来ます。「畳」に戻ります。「畳」はこの「尺」が3尺と6尺の長さで囲われた長方形を一つの単位としています。

「尺」は親指と人指しを広げた長さ(約15㎝)を二つ分(約30㎝)。身体を基準にした寸法である。中国から日本に伝来。

「間取り」 日本の建築生産を支える「尺貫法」

日本で「畳」「尺」という単位に慣れ親しんでいると、これが世界的に非常に珍しいシステムであることに気づくことなく一生を終えます。ほかの国の建築文化ではここまで徹底した規格化は行われていないようです。ゆえに?かはわからないですが建築家が平面図を描くときに普通、最初にやるのは構造躯体である柱と柱の位置関係を決める柱割です。「間取り」では最初から規格が決まっているため、よほど大きな部屋にしない限りは柱と柱の間の基準寸法を決めなくても良いですが、普通の「平面図」は規格が決まっていないので自分で決めないといけません。「間取り」にもとづいてつくられる「和室」はさらに障子・襖といった建具や天井高さといった断面方向の規格も「尺貫法」によって規格化されていたため、建主が描いてきた間取り図から大工が住宅を建てることが出来た、という塩梅です。これは戦国時代に茶室を茶人が間取り図を描いて建築の支指示をしていたことに通じますし、大量生産を志向した近代の世界の住宅産業を先取りしていたと言えます。

日本という一つの国で、ここまでの統一規格寸法によって建物が建てられる文化が浸透したのは、江戸時代以降と言われます。それまでは大工は平安時代には宮廷につかえる官僚組織であり、平安末期からは国家事業を貴族が負担するようになり彼ら雇われる職業集団。それが江戸時代になり平和が訪れ、城や邸宅などの需要が減り一部の権力者に仕える業態から都市の町家や裕福な豪農の民家と裾野を広げて、全国津々浦々に大工技術が行き渡ったと言われています。その裏には江戸時代の人口の急増や狭い国土に高密度で住むことによって生じる火災などの災害に対しての対処、都市の人口の流動化に伴う中古市場の活性化など、様々な要因が重なり合っているように思えます。

住宅産業:設計施工一貫で効率的な流れ作業
マスカスタマイゼーションに対応可能
建築家:建主、建築家、工務店が三権分立のチームを組む。
一品生産、フルオーダーに対応可能な体制

日本の住宅産業 と 「営業」、「設計」、「施工」 営業を支えた間取り

最初に書かせて頂いたように、「間取り」は現代の住宅産業でも使われています。むしろ大きく支えているといって良いと思います。「尺貫法」の寸法体系は例えばpanasonicのような家電メーカーがつくる建具にも受け継がれています。既製品の建具のカタログに1間(畳の短辺2枚分)という単位が当たり前に書かれていることに驚きます。江戸時代に町民文化にまで浸透した「間取り」の文化が現代までも続いてきているのです。そして、この「間取り」の文化が住宅産業の「営業」と呼ばれる人々の活動を支えます。この住宅産業における「営業」という部門も、恥ずかしながら住宅業界をお手伝いするまで存在を知らなかったので、建築業界の内部にいるものですらよく分からないのですから、外の人にはさらによく分からないものなのではないでしょうか。

住宅産業におけるハウスメーカー(大手・地場問わず)やビルダーと呼ばれる設計と施工をまとめて請負う業態では「営業」と「設計」と「施工」の3つの部門に分かれて業務を回すことが一般的です。「営業」と呼ばれる人たちがお施主様と直接お会いになって、意見を聞き、間取りを描きます。営業の方は一級建築士や二級建築士のような建築士の資格をお持ちの方もいらっしゃり、その言葉通りに受け止めると建築の門外漢のような印象を受けますが、必ずしもそうではありません。営業から建築事務所を立ち上げる方もいらっしゃいますから、その内情は様々です。

「設計」と呼ばれる人たちが、「営業」の人たちが描いてきた「間取り」をもとに「実施設計図・確認申請図」を描きます。この実施設計図・確認申請図は住宅産業においては工事をするための図面、法の適合を確認するための図面、というかたちでお施主様と営業が話してきた内容を「施工」や「審査機関」が理解しやすいように翻訳する役割と間取りが実際に建築可能かをチェックする役割を担います。大きなビルをつくる組織事務所やゼネコンだと設計部の社員さんたちとは別にCADオペさんと呼ばれる図面作成部隊の外注さんがいますが、そういう人たちに近い位置づけでしょうか?(アルバイトでしか行ったことがないため、その時のイメージのみで書いてますが、、、)

最後に「施工」は工事をする部門。「設計」が作成した図面をもとに大工さんや様々な業者さんと調整しながら指示を出して建物を完成させていきます。現場監督さんと呼ばれるのが、ここの部門の人たちになります。現場監督さんのもとに集まる大工さんや様々な職人さんは必ずしも一社のハウスメーカーさんや工務店さん専属ではなく、様々な会社さんから仕事を受けています。大手のハウスメーカーさんでも、当然ながら地元の職人さんが携わって作っていきますので、職人さんたちを活かすも殺すも、「施工」、「設計」、「営業」の人たちの能力次第、というかたちになります。

ここまで大きく住宅産業の業務の流れを見てきたのですが、部門は3つに分かれていますが実際にお客様と話をしているのは「営業」のみであり、そしてその営業は「間取り」だけで設計を終えてしまいます。これが日本の「尺貫法」によって動いている現代の「間取り」のすごいところです。ここに「平面図」を書いている建築家と呼ばれる人たちとの大きな違いがあります。この違いはPCで使うCADと呼ばれる図面作成用のアプリが住宅産業と他とでは全く異なり、住宅産業用の「営業」さんが使うCADは尺貫法に従ってつくられていることにもつながっています。(住宅産業の「設計」さんは汎用CADやハイブリッドなものを使う方が多いようです。これも住宅産業に触れてはじめて知りました。)

ハウスメーカーの間取り
住宅産業、ハウスメーカー向け、間取り作成用CAD
建築家の図面
建築家の汎用CAD

建築家と呼ばれる人たちの業務の流れも簡単にここにまとめておきます。彼らは通常「設計図」と呼ばれる施工者へ見積もりをしてもらう図面を描くことを生業としています。ここでは、設計をする部門と施工をする部門が別々の会社になることが一般的です。住宅産業では「営業」と「設計」が分かれていましたが、建築家では一緒になって同じ人間が行います。その代わり、設計の規模や内容にもよりますが、設計のなかで意匠設計、構造設計、設備設計と専門分野が分かれて、高度な設計内容にも対応出来る体制を取っていることが多いです。(意匠、構造、設備はそれぞれ別会社になることが多いです。)住宅産業では設計の中身が分かれずに、建築家では分かれる理由も、「間取り」と「図面」の違いに遠からず原因があるように思います。

「図面」では規格化されていないため、柱割から決めるということを先ほど書きました。これは、「図面」では構造の考え方もそれぞれ一から決めることが出来るということを意味しています。木造以外の鉄骨造やRC造も選択肢に入るので当然と言えば当然です。これは設備も同じです。「間取り」では方眼紙の上に描かれるのに対して、「図面」では真っ白な紙の上に描かれるという違いがあるとイメージするとわかりやすいでしょうか。そういう柔軟性があるので、有名建築家が紙に描くようなスケッチが図面として成立させられ、実際に建物として立ち上がるのだと思います。(もちろん「図面」でも尺貫法を採用したり、よくある構造システムや設備システムを採用することで「間取り」と同じように一つの設計のみがすべてを対応することもあります。)

直営方式と請負契約方式
戦後復興期の大量の住宅需要は間取りシステムと大工さんによって支えられた。請負契約方式が普及し、大工さんは工務店になった。
建主は建物をつくる一員から建物を依頼する人に変わっていった。

工務店の登場 と 建主の役割転換

これまで住宅産業のハウスメーカーやビルダーの営業さんの「間取り」と建築家の「図面」の比較をして参りましたが、「間取り」を使う重要なキーパーソンがまだいます。今も日本中のたくさんの住宅を供給し、戦後復興の住宅供給を支えた中小の工務店さんです。最初の方で書かせて頂きましたが「間取り」システムのすごいところは設計のプロでない方が書いても住宅が建てられるところです。
戦後復興の大量の住宅需要に対して、国は持家政策を進め優遇していきます。そのあらわれが1970年代に新聞に「現代住宅双六」というかたちで世間が共有しています。ベビーベッド、川の字の寝室からはじまって最後に、分譲マンション、庭付き一戸建ての理想のマイホームであがり、という双六が掲載され大勢の人が見ていたのです。
1950年に住宅金融公庫が設立されて、1960年頃には民間の金融機関の住宅ローン融資がはじまります。この融資という制度がそれまでの日本の住宅の建て方を大きく変えます。それまで主流だった「直営方式=お施主様が直接大工さんなど職人さんを雇うかたち」から「請負契約方式=工務店が大工をはじめ様々な職人さんを雇うかたち」へと切り替わります。これに融資制度が重要な役割を果たしたと言われます。それは住宅金融公庫の融資の条件に、請負契約での施工が求められたからです。

これによって大工さんとしてお施主様に雇われていた人たちが、工務店として他の職人を束ねて請負契約する会社へと変わっていきます。時代が移るにつれてだんだん変わってきていますが、いわゆる地場の工務店と呼ばれるタイプの工務店さんには、このように大工さんから工務店になった会社が多いです。

請負契約になって変わったのは建主側にも影響します。それまでの直営方式では職人さんたちを建主が少なからず監督していました。このような意識が「間取り板」のようなかたちにも現れていたのだと思います。しかし請負契約になって、工事は工務店に一任されるようになります。建主が介入する領域が大きく減少したのです。そうすることによって、より効率的に工事をして、より大量の住宅を供給する体制が整えられていきます。また同時に建物を建てるということから建主が少なからず距離を取るようになっていきます。

アメリカの大量生産/マスプロダクション型と日本の自由設計/マスカスタマイゼーション型の異なる多様化への方向

間取り が支えた 戦後の住宅需要から「量から質」の時代 ライフスタイルの変化と自由設計

「間取り」が、戦後の住宅需要の際に果たした役割は戸建ての持ち家における多様な建物像を可能にする柔軟な規格システムでした。戦前の住まいの本で提案されている「間取り板」と呼ばれる道具の説明では「我が家を新築することは、自分の努力如何では、どんな職業の者にでも、出来る」と書かれていると言います。先ほど書いた直営方式を前提にしていると思いますが、建主の主体性を意識させます。この間取り板と似たものをハウスメーカーさんの研修で見たことがありますし、似たものを自作して設計提案頂くお施主様にもお会いしたことがあるので現代にも通じるものがあると思います。少し話がそれましたが、要するに「間取り」システムのある日本の戦後復興期では、好きなかたちの自分のマイホームが手に入れられると多くの人が思っていたということになります。(もちろん自分たちの予算と土地の範囲で、ですが)これはアメリカの戦後の住宅市場で同一規格のほぼ同じかたちをした大量生産、大量供給された住宅とは大きな違いです。(この違いは住んでから家を育てていくというアメリカの住宅観と建てる時に大きなエネルギーを投入する日本の住宅観の違いにも現れている気がします。そしてそれがこれからの中古市場にも影響を及ぼすように思えます。)

「注文住宅」、「自由設計」、「イージーオーダー」という今でも住宅業界では聞きなれた言葉が1960年代頃から流行り始めます。(恥ずかしながら、これらの言葉も住宅業界に触れるまで知りませんでした。)決まったかたちの住宅を頼むのではなく、どういう部屋の並びが良いか?どの部屋を大きくして、どの部屋を小さくしたいか?といったカスタマイズを行って仕上げていきます。これは冷静に考えるとすごいことです。通常「商品」と呼ばれる大量生産されるものは、同じ作られ方で作られた、同じかたち、をしたものをイメージします。戦後であればなおさらです。それが同じ作られ方で作られるのですが、違うかたちを作っていくのです。マスプロダクションに対して21世紀になって生まれるマスカスタマイゼーションを40年近く先取りしているのです。

求められる大量の住宅を捌くのにそれまでに日本中で培われた「間取り」システムが大きな力を発揮します。規格化された効率的な製造システムでありながら、ブロックごとの組み換えが可能な柔軟な設計システムが建主の要望に答えます。時代は江戸時代の和室から明治期の和洋折衷の和室も洋室もある住まい方へと進み、戦後はリビングを中心とした現代と似た「間取り」が主流になっていきます。そこには家族像の変化があったと言われます。家父長制の一家の大黒柱が居て、その主人が客を出迎える客間が戦前は重要なポジションを占めていました。それが戦後になって家父長制は古い日本の体質だと否定されて、アメリカのような核家族のスタイルが浸透していきます。その時に一家の団らんが住宅の中心として強く意識されていきます。(その下地は大正時代の西洋民主化の流れから受け継がれてきています。)さらにテーブルやベッドのような洋家具が住宅の中に入ってくることによって、それまで和室が持っていた出しては仕舞う多用途の場から単一機能の部屋へと性質が変質していき、まさに「核家族」らしい「間取り」へと住まいは変化していきます。このような暮らし方の激変の時代に大量生産を行って住宅を供給するという離れ業を「間取り」はやってのけたのです。

この戦後復興期の最初期を大きく支えたのが大手ハウスメーカー以上に全国各地の中小の工務店さんたちです。中小の工務店さんたちには普通はハウスメーカーやビルダーのように「営業」という職種はいません。人間関係や口コミによって仕事を回しているところがほとんどです。そして「設計」という職種もいません。確認申請などの申請関連の設計業務は建築家・建築士の人に外注していますが、「間取り」は自分たちで描く、そしてそれを自分たちで作っていく、というスタイルを取っています。言い方が悪いですが設計の勉強をしていない素人が日本中の建主のライフスタイルがどんどん変わる激動の時代のわがままを受け入れて、ちょっと違う様々なかたちの住宅をマスカスタマイゼーションしていっていたのです。当時を知るわけではないが、職人さんたちの横のつながりの強さを見ると様々な技術や考え方が伝播し模倣されて改善されていく(改悪されていく場合もあっただろうが)時代だったのだと想像出来きます。

自由設計で増えすぎたバリエーションで住宅産業の採算性が悪化。企画型の商品化。バリエーションを絞り、生活提案(イメージ)を売る方向へシフト。

マスカスタマイゼーション の 進展 と 「 営業 」の「 間取り 」

戦後復興期を支えた工務店さんたちですが、第一次ベビーブーム世代が成人して高度成長期を終えたあたりから住宅着工数が減っていきます。1973年に190万戸をピークに減少し2010年には半分以下の82万戸になります。これに合わせて大工さんたちの人数も減っていきます。1980年に93万人いた大工さんは2010年には39万人になります。こうした変化の中で住宅産業は小さな中小の工務店のシェアが縮み、大きな全国展開や地場展開のハウスメーカー、ビルダーのシェアが伸びていきます。年間50棟以上を一つの工務店さんが竣工しているとかなり数が多い方ですが、その50棟を目安でみると2013年時点で約半分ずつのシェアとなっています。こうなると工務店といっても大工さんあがりの経営者がやっていた工務店さんからハウスメーカーさんに勤めてた方が新しく起業したり、別業種からの進出があり(パナソニックのパナホームやTOYOTAのトヨタホームあたりが分かりやすいところでしょうか)、より「営業」という立ち位置のウェイトが大きくなります。外車の車のショールームの営業の方が住宅の営業に転職したり、その逆があったり、と接客・サービス業とのハイブリッドな製造業のあり方が住宅業界の現場にも浸透していきます。

マスカスタマイゼーションの進展は住宅業界における「接客」の役割を大きくしていきます。いろいろな選択を出来るということは、「間取り」をまとめるまでの時間が伸びることを意味します。そうすると一人が年間につくることの出来る「間取り」の数が減っていきます。またそれだけ長い時間を接客することが苦痛でないように、そのスペースも変わっていきます。多様な要望に応えられるという「間取り」の特性が、逆に産業の採算性を蝕むようになっていきます。ハウスメーカーやビルダーの「広告」は無料で流されているわけではありません、製作費をはじめとする広告費が生じています。「接客」も無料で提供されているわけではありません。要望に応えるための体制や快適に打合せするためのスペースの賃料や様々な人件費などは工事費へと転化されていきます。建主の要望が多様化すればするほど、全体でみたときに「接客」の時間は伸びて、採算性が悪くなり利益が出せなくなるという悪循環に陥っていきます。

こうしたなか「商品化」という選択肢を逆に削いで建主が悩まなくてよいスタイルが1970年代後半から生まれていきます。東京大学の特任教授である松村秀一さんは著作「ひらかれる建築 「民主化」の作法」にて、ミサワホームO型を例に説明されています。

「総二階建てのこの商品には、間取りが東西反転を含め四種類しかなかった。簡単に言えば、面積が大きいのか小さいのかである。屋根のかたちも一種類。内外装もせいぜい3グレード程度から選ぶだけだ。住み手との間で営業マンが何度も打合せする必要はない。価格も含めてほぼすべて決まっているのだから。…、ただ、ここまで限定度が高いと販売戸数は伸びないというのがそれまでの常識だった。そこで、この商品では、間取りを限定する代わりにそこに生活提案を盛り込み、様々なオリジナル部品を搭載することで、他にはない付加価値を訴求する方法を採った。限定度の高い商品をそれまで「規格型」と呼んでいたところを、「企画型」と呼び直して商品化したのである。」
(ひらかれる建築 -「民主化」の作法 p.125-126 著:松村秀一)

「間取り」のマスカスタマイゼーションを活かすために、情報の整理が必要になった、そのために建主が前へ進みやすいように道とガイドを整備していくことが求められた。と整理出来るように思います。この「企画型」という方向性で、住宅産業と建築家が徐々に近づいているように思います。
「間取り」と「図面」の比較のところでも触れましたが、ハウスメーカーをはじめとした住宅産業と建築家と呼ばれる設計を生業にする専門家は、同じ建築に関わる人間ではありますが、業態としてはほとんど関りがありません。それは私が住宅産業に触れるまで、そこで当たり前に使われている言葉を知らなかったことからも察して頂けるのではないかと思います。建築家側の視点で言うと、建築家が設計したものを「建築」(人によってはそのなかでも特に良いもの、建築家でないけど良い建物も含める)とそれ以外を「建物」として区別することが多いと思います。松村さんはそれを踏まえて、「ケンチクの世界」と「タテモノの世界」というように区別しています。

住宅産業の建物(タテモノ)と建築家の建築(ケンチク)の世界。
市場主義の進展、情報の膨大化・多様化とともに、個性とファン化の重要性が増し、両者の差が縮んできているように感じる。

建築家というのは、ものすごく大雑把に考えると、その個性で自分なりのブランドを構築して、そのブランドに共感した人をお施主様として設計を行い、「建築」を実現していく人たちです。そのブランドイメージを軸に、建築・デザイン雑誌や口コミ、人間関係によって顧客を獲得していく人が多いと思います。戦後は公共建築の多くをこの建築家の方々が手掛けて戦後復興を担っていきます。日本の建築家は世界的にものすごく評価が高いです。同時に日本の大工や職人さんの建築技術、大型案件を支えるゼネコンさんたちの施工技術管理技術の高さもすごく評価が高いです。その一方で日本人からの評価は世界からの評価に対して、あまりされていない、という印象を持ちます。そんな建築家の人たちが若い頃に主に手掛けるのが「住宅」でした。住宅建築家という住宅をメインに設計をされる方もいますが、それ以上に若い建築家の人たちが建築家の「住宅」というものを豊かにしていったと思います。これもヨーロッパなどの海外から見ると不思議な状況になります。一般中流階級はアパートがメインで、一戸建ての住宅はお金持ちが建てるもの、建築家の仕事は公共建築が主戦場、というのが一般的なヨーロッパでは無名の若手建築家が手を伸ばせるチャンスは限られています。しかし建築家の地位は高いです。それに対して日本は世間からの評価は低いが、チャンスはたくさんあります。戦後復興から高度成長期は、先ほども書いたように設計は素人な工務店が「間取り」を使って家をたくさん建てていたのです。設計の専門家に仕事がないわけがありません。そして東京の街並みを見ればわかるように、様々なデザインの実験が許される土壌がありました。実際に東京の街並みをつくっているメインは建築家ではなく、マスカスタマイゼーションでたくさんの住宅を供給している住宅産業の人たちです。そんな彼らの仕事が作り出した風土があればこそ、実験的な試みが建築家に許される状況が維持されてきたのだと思います。(この視点で戦後からの地方建築家と東京などの大都市の建築家のスタンスを見比べると面白いと思います。)

企画型住宅産業 と コミュニティ化、ブランド化

話を戻します。このように個性でブランド構築し顧客を集める建築家の戦略は、顧客が建築家を訪ねる時点で、設計の選択肢が絞られた、顧客が設計が決まるまでの時間があまり必要ない、状況をつくりだします。一方で住宅産業には何を調べれば良いかもわからず、とりあえず展示場や店舗へ訪れたという方々が大勢来ます。その人の興味の解像度もまちまちです。建築家の仕事をしている人にはなかなか理解しにくいと思いますが、建主と同じ設計の方向を向くためのプロセス、そのために信頼関係と共通言語を構築するためのプロセスが強く求められます。これは無名な若手建築家の得る仕事のプロセスとも違うと思います。彼らは地縁などを通じて紹介の仕事を最初得ることが多いために建主となにかしらの「関係」がすでに構築されているところから設計がスタートすることが多いです。しかし住宅産業に来られる建主の方は、ただ「住宅を建てようと考えている」という点のみから関係構築をスタートしていかなくてはいけません。

この違いに建築家の方々が「コミュニティ」を志向して、住宅産業が「市場」を志向する姿としてはっきりと表れていると思います。大量生産を志向するハウスメーカーやビルダーにとって、その構造を成立させるだけの需要を維持することは大きな課題となります。それを「コミュニティ」で実現しようとすると「コミュニティ」の維持に多大なコストが掛かります。国という企業のように税金を集めでもしなければ成立しません。SNSの発展によってファンの維持コストが下がっていることを考慮しても、この課題は残り続けているように見えます。そうすると必然的に「市場」に選択を委ねる傾向がどうしても強まります。また生涯で何度も建築をする建主はまれです。自動車産業が車検などのメンテナンス費用で中長期的な関係を築いて利益を出すように、建築も中長期の関係によって利益を生んでいきますが、先に書いたように日本のマスカスタマイゼーションの住宅産業は建てる時にエネルギーを集中させて、建てた後にカスタムしていくことをあまり志向しません。そうすると限りなく1回限りの関係としての「市場」経済性の高い振る舞いが利益を最大化しやすい産業構造でもある、と言えます。

しかしこれまで見てきたように情報の多様化によって、接客時間が伸びて、採算性が落ちてるのに競争は激化することで、産業が疲弊していきます。「コミュニティ」は共通の価値観などによって結びついた協同体によって形成される内とその外とを分けて、営業コストや流通コストなどの取引費用を低減させます。ブランド化を強める方向は一種の「コミュニティ」化を強める方向です。カフェをつくったり、宿泊施設をつくったり、SNSでファン(同じ価値を共有する同志)を増やして取引費用を抑えようとする住宅産業の取組みは象徴的です。忙しくて自殺しないとならないような生活をしている現代人にとって、情報を集め取捨選択していくための取引費用を抑えることの重要性は増しています。より日常的に、より自分らしく、情報を集め、選択出来るように現代人はそれぞれのコミュニティを形成していっているように思えます。「価値観を共有する長く信頼できるガイド」が求められるのです。それを探すのに「コミュニティ」が便利であるということだと考えます。

改めて地方の住宅産業を中長期的に持続する「コミュニティ」という観点から、地域の「建築家」や「住宅産業」を見ていく時、「住宅産業」が再び「コミュニティ」化していく上で、「建築家」は良い教師であり、反面教師となるように思います。専門性の高い顔の見える個人事業主の集まりで出来ていた、古き良き商店街のような組織(もしくは○○48みたいなアイドルグループ?)が目指される姿のように思えます。

個性を強化する、ブランドを強化する方向は、「関係」構築のはじめの段階を外部化して、建主側が自ら調べることによってコストを負担してもらうことで、住宅産業の「営業」のコストを下げて(場合によっては広告コストが上がって本末転倒になりますが、)、それが工事費を下げることで建主の得になるという方向につながります。
建築家の方は人にもよりますが、自分の理想とするものを永遠と求め続けますから、むしろ顧客が建築家にすべてを委ねてからがスタートという感じのイメージを持ちますが、住宅産業によっては顧客が設計に委ねることが目的になっていますので、非常に大きな効率化が達成されます。住宅産業がつくりだした「商品化」「企画型」の住宅の行き着く先は建築家のような個性あるブランド化の方向だと思いますし、住宅産業の「接客」の上手な「営業」のかたは自分たちのブランドに意識的であるし、口コミや人間関係によって新たな需要を獲得していく様々な術を持っているという印象をもちます。芸術家志向やユートピア志向の強い建築家に対して、リアリストな住宅産業という違いは残るにしても、それまで水と油のように別々に存在していたものが、意外と近づいてきつつある、というのが住宅産業に触れた私の印象です。

もう一つ建築家と住宅産業の近づいている一方で、その二つを分ける要素は施工との関係です。これまでも触れたように住宅産業は「間取り」によって、最近では工業化されてより高度に規格化された施工システムによって住宅を作り出しています。建築家のつくる本当の意味でのフルオーダーなものとは大きく違います。仮に住宅産業が建築家が設計するようなフルオーダーのものを量産しても採算が取れず、もしくは金額が合わずに契約に至らずに終わるケースが大半でしょう。しかし建主にとっては知らぬことです。さらに情報技術の発達によって、さまざまなデザインや情報に触れる機会が建主側も多くなっており、マスカスタマイゼーションが住宅産業ではじまった1960年代よりもさらに多様化への圧力は高まっています。この多様化.する情報を整理しつつ、現実的な住まいのかたちへと導いていく「営業」の人たちは「間取り」を通じて、建築家とは異なる設計技術や接客技術を磨いていっています。それは「和室」と呼ばれる日本の伝統的な住まいにおいて見られた、障子の割や襖の柄や絵など、取手のかたちといった基本形は同じとしながらも細部で遊ぶ志向と重なります。

参考資料

ひらかれる建築 -「民主化」の作法  著:松村秀一

関連作品

風と火と農家住宅/Farm house of wind and fire

風と水の間の家

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