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フェルナン・ブローデルの物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 を読む

物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 3-2 世界時間

フェルナン・ブローデルの名著。現代社会の基盤をなしている資本主義、世界史のなかでこの言葉がどのように育ち、歩み、成長していったのか?日常の構造、交換のはたらき、世界時間という独特な言い回しの3部構成で、まとめられた長編大作。翻訳版では3部構成のそれぞれが前半後半で分けられている。

日常の構造Ⅰ

物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 1-1 日常の構造

本書は日常の構造の前半。

交換のはたらき、が経済文明、資本主義の成長の記録であるとすると、世界時間は、世界の相互作用の拡大、共鳴の記録であり、日常の構造は、その資本主義の外側に広がる またそれを支える・支えられる、もう一つの世界=物質文明の記録である。

変化が乏しくゆっくりと歩む物質文明の記録

失業とは市場外の活動のことを指していた

英語のun-employed(失業)という言葉が、19世紀初頭のアメリカでは、お金が支払われることのない活動をさしていた。市場外の生産活動(家事育児なども含まれる)に携わっているときや余暇を楽しんでいるような場合、人々はそれを「非雇用の状態」unemployed と呼んだようである。

日常の構造とは、すべてが市場経済の外側にある活動ではないが、この果てしなく広がる経済活動がどのように変化してきたのか?もしくは変化してこなかったのか?を示す。現代の経済学で外部性として定義される領域もここに含まれるだろうか。

大企業の大量生産を安定させるために、生産量の変動領域を小中企業が担うことで、全体の生産システムを成立させているらしい。このような二層構造もまた、資本主義の世界と物質文明の世界という二層構造の一つの表現となるのかもしれない。

ゆっくりと長い時間をかけて変化していく物質文明

人口や感染症、飢饉のはなしからはじまり、小麦、米などの農業のはなし、住まいや衣服のはなしと、扱う内容が具体的で幅広くて、長い時間を持続して流れるさまざまな事象の大河を実感する。この独特な雰囲気は読んでみないとわからない。

生活にまつわることが、いかに変化に乏しく、いかに長い時間をかけて少しずつ、その変化の準備を貯えてきたのか?を実感させられる。

そして、その地域の気候・地形とその食糧体系、そしてその住まいに至るまで、その生活の基盤が生み出す文明の違いが、異なる習慣を生み、その習慣が互いの境界を生み出し、その配置関係が互いの相互作用のあり方を規定していく。

経済活動が単純な合理的な判断にのみ従うのでなく、文化的な側面、そしてそこから生まれる心理的側面に大きな影響を受けるということを考慮に入れるとき、この各地域で日常をくりかえし、くりかえす構造がどのような意味を持つか?

特に、持続可能性・サスティナビリティが問われる現代においては、避けては通れないものだと感じる。なぜなら、この外部性/市場経済外の日常のなかにこそ、これまで疎かにしてきたけれども、欠くことのできないピースがあるのだから。

本書の後半に流行のはなしが入り込むのは、15-18世紀という時代が伝統と流行という異なる二つの方向性が明確に意識されてきはじめたことを強く感じさせる。(荘子のハネツルベのはなしを読むとずっと昔からこういうことは意識されていたのだろうが)

文化の均質性を生み出すものとは?

鍬に頼る文化の帯の均質性という指摘は、factfullnessのあきらかにした地域性よりも経済性のレベルから見た際に生活環境の均質性が見えてくるという指摘の母胎となっているのではないか?と感じる。そしてこの鍬に頼る文化の帯の均質性がどこから来ているのか?は一つの重要なテーマではないかと思う。

建築をやる人間としては、暖炉のある地域(ヨーロッパ・シベリア・中国北方) と 暖炉のない地域 (その他の暖房を太陽に頼る地域)の違いは、自然環境に対しての態度の違いとして、なにか大きな影響を与えているように思える。

13世紀に人口減少の時代があったことは、原因も違うので直接的には参考にはならないだろうが、現代社会を考える上で、人が減るとはどういうことか?考えるのに、一つの参考事例となるように思えた。

通時的で共時的 ことばと事物の複合体

通時的 共時的 という言葉は 個人的にはレヴィストロースを意識させられる。神話の世界と科学の世界が伝統の世界と進歩・流行の世界が併存する世界史。それは現代も同じだ。

そしてこの物質文明が織りなす通時的であり、共時的である世界は単なる《事物》によって構成されるのではなく、《事物とことば》の領域 であるとされる。「ことば」「言語」というものに対して大きな期待を寄せている。

村上光彦氏の訳者あとがきでの

「、文字使用の段階に達した文化に《文明》という呼称を与え、文字使用を習得していない文明を《文化》という呼んでいるのです。文字を書くことが文明すなわち《第二次の成功》の指標だというわけです。」

という指摘は、この物質文明と呼ばれる領域が社会的で、かたちを変えていく、柔らかい存在であることを感じさせる。そして私たちが言葉を通して、事物をみなみなで織り上げて、日常をつくっていっていることを、社会では事物は言葉であり、言葉は事物であることを、意識させられる。

具体的な数値や事例が そうした通底音を、鮮やかに彩る。

1日常の構造Ⅰ資本主義を支える物質文明 2日常の構造Ⅱ人力の時代がつくった交換の土台 3交換のはたらきⅠ新しいものと古いものが併存する階層的な発展 4交換のはたらきⅡ国家・文化・社会が交換の活動の骨格を与える 5世界時間Ⅰ結ばれた点と点の時間が同期し、活動が共鳴し生まれる文化と技術の複合体 6世界時間Ⅱ独占・競争・自給の三つの階層がつくる幾筋もの流れ

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「フェルナン・ブローデルの物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 を読む」への2件のフィードバック

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